
久しぶりにマリー=クレール・アランのオルガンを聴いた。
何だかとても男性的な、芯のある、重心の低い演奏に、この不世出のオルガニストの実演を聴かなかったことを後悔した。
セザール・フランクの敬虔なる信仰心の発露たる数多のオルガン曲は、どの時代のものもとても素晴らしい。
彼の作曲の動機は、栄光でもなく、金でもなく、安易な成功でもなかった。彼の目的は、芸術を手がかりに自らの思考と感情を表現しようとすることだった。そして、何よりも真の意味で彼は謙虚な人だった。
(ヴァンサン・ダンディ)
ダンディの回想通り、フランクは金や名声を欲しない、自身の信じる神をただ純粋に信じ、素直に生きること、謙虚に音楽をすることに生涯をかけた人だった。僕は、こういう無心の、無我の、そして無為の人の音楽を好む。色のない、純白の、透明な音楽が世界を包む。その意味ではバッハの音楽以上に慈しみ溢れるものだ。
「交響的大作品」の文字通り壮大さ、そして何より楽想の飛び切りの飛翔に僕は感激する。
あるいは、「前奏曲、フーガと変奏曲」の荘厳さ、否、それよりもとっつきやすい旋律と音調の優美さ。アランは瞑想する、そして、思念を込めてフランクの情緒を音に乗せるのだ。
教会という、直線的な、人的な構造物に鳴り響く音楽の妙と、それを超えた曲線的な大自然、大宇宙の静寂とが巧みに交錯するフランクのマジック。天才だ。