シミオナート ユリナッチ カラヤン指揮ウィーン・フィル グルック 歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」(1959.8.5Live)

啓蒙主義の演劇は、完全な人間であるということが何を意味するかを追求するものである。この時代の劇は、人間(イタリア劇では主人公は普通男性である)が自らの完全なる可能性を実現するためにくぐり抜けなければならない一連の試練というものを中心として組み立てられることが多く、目標が明確に方向づけられており、その目的はつねに、人間というものが熱烈に求めるであろう物質的、精神的、倫理的な発展の最高の段階を明らかにすることにある。オルフェオは冥界に降りて行くことで勇気の試練を通過し、またその歌で復讐の三女神をなだめることによって、技の試練もパスする。しかしもうあと少しのところで、忍耐の試練には失敗してしまう。それは彼が人間的なものを超えた行動—愛の拒絶—を要求されたからであった。
(パトリシア・ハワード/寺西基之訳「啓蒙主義時代のためのオペラ—グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》」)
ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ グルック「オルフェオとエウリディーチェ」PHCP-5216-7ライナーノーツ

人間は、やはり何度も生まれ変わる中で、つまり輪廻の中で、自身の心、魂の成長をいかに遂げるかが問われているのだということが、ここからも理解できる。オルフェオの物語が試練のドラマだとするならば、果たしてパリ版の絢爛豪華なバレエは必要だったのか? ガーディナーの、「《オルフェオ》はパリ人の趣味に合わせて改作されることによってダメージを受けることになった」という言葉が実に説得力を持つ。

しかしながら、一つのスペクタクルとして考えるなら(「精霊の踊り」の追加された)パリ版に軍配が上がるだろう。さらに言うなら、エクトル・ベルリオーズが、パリ版のオルフェオのパートを女声のアルトに戻すなどの施しをしたいわばウィーン版とパリ版の折衷版は、それぞれの長所を生かした実に巧みな舞台を、というより音楽を堪能できる最高の方法だと断言することも可能ではないか。

・グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」
ジュリエッタ・シミオナート(オルフェオ、メゾソプラノ)
セーナ・ユリナッチ(エウリディーチェ、ソプラノ)
グラツィエッラ・シュッティ(アモール、ソプラノ)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.8.5Live)

ザルツブルク音楽祭は、フェルゼンライトシューレでの実況録音。若きカラヤンの棒は、生き生きと、そしてまた颯爽とし、冒頭から僕たちを「オルフェオ」の試練ある幸福な(?)世界へと誘ってくれる。何よりハッピーエンドであることが、このオペラの美しさを助長する。

エウリディーチェ 嫉妬に悶え苦しんだけれど、
やがて夫への誠実を取り戻します。
そして心を苦しめたあの疑いが
ついには幸福になります。

含蓄あるユリナッチのエウリディーチェは、何と感性豊かな唄だろう。

第1幕、期待のこもった拍手をよそに音楽が徐に始まる。
もちろんシミオナートのオルフェオの歌は実に深く、哀しみと慈しみに満ちる。これから始まる人間の、そして冥界のドラマを、これほど心情豊かに表現し得たオルフェオが他にあろうか。何よりバロック的な急進性と、溌溂と奏される終結の音楽にカラヤンの素晴らしさを思う。

初出のとき、僕はこの音盤をついに買いそびれた。
時を経て、カラヤンのオペラボックスが出たとき、この音盤を主たる目的にして大枚を叩いた。期待通りの「オルフェオとエウリディーチェ」にすっかり感動した。

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