キング フィッシャー=ディースカウ バーンスタイン指揮ウィーン・フィル マーラー 大地の歌(1966.4録音)

マーラーの最高傑作は「大地の歌」だと僕は信じている。
音楽が(時間的にも空間的にも)四方八方に巨大化していく中で、ある種異質な様相の作品は、終楽章「告別」を頂点とし、(中国の名詩を引用しての)エキゾチックな響きと、マーラーにしては統一感のある構成を持つ。各楽章の旋律の美しさは随一で、古今のどの名盤をもってしても一向に飽きない優れもの。完璧な音楽だと僕は思う。

ポスト・マーラーがクラシック界に限らないという視点もある。
西欧音楽史が無調の時代を迎えて解体した1920年代にアメリカでジャズが台頭し始め、クラシック創作界が世界に冠たる機能を持たなくなった1960年代にロックが台頭してきた。

(吉松隆「マーラーを継ぐもの」)
P125

ビートルズのファースト・アルバムに代表される熱気と激性は60年近くを経た今も実に新しい。

僕らが「プリーズ・プリーズ・ミー」を歌ったら、ジョージ・マーティンは“テンポを変えてみないか?”と言うんだ。“どういうこと?”と訊くと、“少し速くするんだ。私がやってみようか”って、実際にやってくれた。僕らは“ああ、ほんとだ。こりゃいい”と思った。ほんとはちょっと恥ずかしかったんだ。僕らより彼の方がいいテンポをわかってたから。
(ポール・マッカートニー)
ビートルズ・アンソロジー(リットーミュージック)P90

自信、謙虚さと素直さとを秘め、全員の協働の下なされた仕事が最初のアルバムだった。ここには以降のポピュラー音楽界を牽引する知恵の胎動がある。

・The Beatles:Please Please Me (1963)

Personnel
John Lennon (lead vocals, backing vocals, rhythm guitar, acoustic guitar, harmonica, hand claps)
Paul McCartney (lead vocals, backing vocals, bass guitar, hand claps)
George Harrison (lead guitar, acoustic guitar, hand claps, backing vocals; lead vocals on “Chains” and “Do You Want to Know a Secret”)
Ringo Starr (drums, tambourine, maracas, hand claps; lead vocals on “Boys”)

マーラーがリヴァイヴァルしてきた1970年代には、ロックも60年代のロックンロールから多様的展開を果たし、シングルEPからLPへの変遷も伴ってプログレッシヴ・ロックと呼ばれる「交響曲サイズ」のロックを生む時代を迎える。ある意味ではロック界のこの動きに連動してクラシック界にマーラー再評価の動きが同時発生したという見方だって出来るのだ。
(吉松隆「マーラーを継ぐもの」)
P125-126

吉松隆さんの視点は本当に興味深く、見事だと思う。
交響曲サイズのロックの最右翼は、イエスの「海洋地形学の物語」だろうが、このアルバムの原型はその前の「危機」である。「危機」は、黄金期イエスの最高傑作であり、50年近くを経た今も新たな発見がある代物だ。

・Yes:Close To the Edge (1972)

Personnel
Jon Anderson (lead vocals)
Steve Howe (guitar, electric sitar, backing vocals)
Chris Squire (bass, backing vocals)
Rick Wakeman (keyboards)
Bill Bruford (drums, percussion)

完全無欠、完璧な構成の”Close To the Edge”はもちろんのこと、”And You And I”の静かな抒情と”Siberian Khatru”の動的な瞑想に僕の魂はいまだに打ち震える。

この時代、クラシックはロマン派の時代を閉じて無調の時代を迎え、ジャズもまたモードを解体させてフリージャズに向かい、ロックはそれらすべてを飲み込んだ多重世界を構成し汎世界的な音楽言語になってきつつあった。
(吉松隆「マーラーを継ぐもの」)
P126

世界が混沌とする中で、人々は平和と自由を求めていった。そして、ポピュラー音楽の世界でも規律から羽ばたこうとする動きが顕著になった。例えば、ジョン・コルトレーンの問題作”Ascension”は、録音から50余年を経た今聴くと、意外にも耳に心地良い(?)作品に変貌していることがわかる。僕たちの感性がようやくコルトレーンに追いついたのである。

・John Coltrane:Ascension (1965)

Personnel
Freddie Hubbard (trumpet)
Dewey Johnson (trumpet)
Marion Brown (alto saxophone)
John Tchicai (alto saxophone)
John Coltrane (tenor saxophone)
Pharoah Sanders (tenor saxophone)
Archie Shepp (tenor saxophone)
McCoy Tyner (piano)
Art Davis (bass)
Jimmy Garrison (bass)
Elvin Jones (drums)

コルトレーンがどこに向かって行っているのか、昔はまったくわからなかったのだが、今はほんの少しだが、見えるようになった。僕にとっても奇蹟だと思う。

しかし、続いてロック界に起こったポスト・モダンはデジタル機器によるダンス・ビートだった。80年代を迎えるとアッという間に音楽はすべて機械化されたダンス・ミュージックばかりになり、世界を席巻した。
(吉松隆「マーラーを継ぐもの」)
P126

拡散、巨大化の後には、集合、縮小が現われるのが二元世界の常。ポピュラー音楽界も確かにキャッチーでわかりやすい音楽一色になり、その頃の僕は、残念ながらその方向には冷ややかな目を向けていた。例えば、フィル・コリンズが率いるようになり、一気にポップス・バンドと変化を遂げたジェネシスの堕落(?)。

・Genesis:Invisible Touch (1986)

Personnel
Tony Banks (keyboards, synth bass)
Phil Collins (drums, lead vocals, percussion)
Mike Rutherford (guitars, bass guitar)

しかしながら、果たして今聴くと、このアルバムも人後に落ちることのない傑作であることがわかる。

そして90年代には、あまりにもデジタル・ビートが蔓延したため逆にアコースティックや民族音楽が一種の反動として評価され始め、周辺を取り巻く衛星軌道のように位置するようになった。
(吉松隆「マーラーを継ぐもの」)
P126

変化の激しい音楽産業の中にあって、クラシック音楽の、中でもマーラーの人気は時間を追うごとに大きくなっていった。彼が予言したように、2000年代には間違いなく時代がマーラーに追いつき、追い越したように思う。

レナード・バーンスタインがウィーン・フィルと録音した「大地の歌」の、あまりに感情過多の表現に、初めて聴いたとき僕は度肝を抜かれた。1966年の時点で、バーンスタインの中には、その後のポピュラー音楽界の流行にも通じる表現の方法が閃いていたのだろうか。しかも、この録音はバリトンのフィッシャー=ディースカウを起用したことが肝だ。知性溢れる冷静な偶数楽章に「浪漫」を超えた自由を思い、反動としてのアコースティック的、民族音楽的な遊びを僕は感じるのである。ここにあるのは「無為」という方法。もちろんそれはバーンスタインの指揮にも通じるものだ。

・マーラー:交響曲「大地の歌」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェームス・キング(テノール)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1966.4録音)

これは、ジョン・カルショウが携わった名録音の一つでもある。

※吉松隆の論は、キーワード事典編集部編 作曲家再発見シリーズ「マーラー」(洋泉社)からの抜粋。

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