横尾忠則のエッセイ「死と救済のイメージ」には次のようにある。
ぼくが初めてワーグナーを聴いた時、あまりの気持よさで本当に気絶してしまいそうになった経験があるのだ。
15年前だ。ニューヨークのアメリカ人の音楽家の家でぼくは初めてLSDをやった。マリファナやハッシッシー肉体感覚が徐々に解放され特に視聴覚が鋭敏になるが、LSDはそんなものではなかった。「アッ」という間もなく瞬時にあちらの世界にテレポーテーションさせられてしまった。あちらと思っていた世界が現実になってしまったわけだ。こういう体験はかつて一度もなかったから腰も抜かさんばかりに吃驚した。というものの一旦この世界に這入ってしまうとここが現実だと信じてしまうからもうひとつの世界からもうひとつの世界にやってきたというような意識はそれほどなかった。ただかつて体験したことのない光景が眼前に展開しており、これまたかつて体験したことのない意識感覚がぼくを襲い続けてくるのだった。
~「ユリイカ」1983年8月号 特集「ワーグナーと現代 没後100年」(青土社)P49-50
まるで「見性体験」だと言わんばかりのなりふり構わぬドラッグ体験だが、確かにその体験にワーグナーの音楽は相応しい。彼はそのときのワーグナー体験を次のように表現している。
やがてワーグナーの音楽は無数の音の粒子に変化し、神が遍在しているように、ワーグナーがあまねく宇宙に存在し始めた。光体であるぼく自身もワーグナーの一部になっていた。
~同上書P50-51
これほど気持ち良いことが他にあろうか。
しかし、ワーグナーとはもっと現実的なものだと思う。巨大な音の渦に巻き込まれながら、しかし、あくまで他人事のような、客観的なドラマに過ぎない。あくまでワーグナーが理想として描いた世界の再現に過ぎないのだから。その意味で、最もリアルなワーグナーを再生したのはカール・ベームだ。バイロイト音楽祭での「指環」然り、「トリスタン」然り、もちろん「オランダ人」もだ。
横尾のエッセイの前提は、「死は恐れるべきもの」のように思われる(あくまで僕の勝手な推測だが)。しかし、生と死の問題の解決を得ては、死は決して恐れるものはなく、また生ももっと楽観的なもの。誤魔化す必要などないのだ。同時に、魂の救済は女性によって為されるというのは幻想だ、あるいは独断的希望だ。
序曲からベームの繰り出す音楽は鋭角的であり、実に攻撃的。一分の隙もなく、滔々と流れる音楽よ。
ちなみに、初演の際の音楽作りはもっと誇大妄想的で、もっと浪漫主義的なセンスに満ちるものだったのかもしれない。フランツ・リストは次のように書いている。
序曲ではわれわれは遠くから彼(オランダ人)が遊びのように軽んじている嵐にもてあそばれているのを眺めている。実際に彼が最初に登場すると、われわれは誇り高い、高貴な心を持った、大きなうぬぼれの罰を負い、永遠の孤独の悲哀に耐えている人物の姿を見る。しかし第2幕では彼が厳しい運命に会いながらも、一緒にいる人たちの前で彼を高貴な人物として特色づけている感情の力を失っていないことにわれわれは驚く。—つまり、愛に強く失望した彼はやさしい心を失ってはいなかったし、—同情を拒んでいる彼は同情を忘れてしまったわけではないし、献身を捨てたわけでもなかった。—また誰も彼を救済は出来ないけれども、救済への欲求は彼の心の中で消えてはいない。—他の誰よりも苦しんでいる彼が愛によって救済される望み、犠牲になる人を見出すことをあきらめ、愛のために苦悩を永遠に担う道を選んだことに驚く。最後の瞬間、苦渋の杯の上に彼のためにはもう一滴も残っていないと思われた時、彼はかつて彼が耐えていたより以上に激しく苦痛に立ち向かい、ある女性が彼に救済をもたらすことになる。—それは約束であった。
(フランツ・リスト、1854年)
~アッティラ・チャンバイ/ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス18 ワーグナーさまよえるオランダ人」(音楽之友社)P192
リヒャルト・ワーグナーは解脱を目指すも叶わなかった。どこまで行っても「救済」は彼の理想ではあったが、同じくリストにとっても同様だったと思われる。それゆえに、「オランダ人」の中にリストはワーグナーと同じ幻想を観た。果たしてベームがこのリストの小論の詳細を知っていたのかどうかは不明だが、しかし彼の棒は実際もっと即物的で現実的ではなかったか。
ゼンタが犠牲的精神(?)に目覚める第2幕が素晴らしい。
私は女性の聖いつとめをよく承知しております。
どうかご安心なさいませ、あなたは本当にお気の毒な方ですわ。
運命のさばきにあえてさからう私のような女などは、
どうかその裁きにおまかせになってください。
私のこころは、あくまで純らかさをたもち、
真心のとうとい掟も承知しております。
その真心を私が捧げるかたに、さしあげられるものはただ一つ
命をかけての貞操、ただそれだけなのです。
~同上書P77
ゼンタの覚悟のほどをベームは熱を込めて音化する。若きグィネス・ジョーンズの慈愛に溢れる歌が美しい。