ジョン・カルショーの回想が実に興味深い。
文字通り金字塔となったショルティ指揮ウィーン・フィルによる「ニーベルングの指環」にまつわるエピソードの面白さ。何より第1作「ラインの黄金」が世界中でそれほど売れたという事実に驚きを隠せない。
1959年のデッカにおける二大事件は、カラヤンの登場と《ラインの黄金》の各国での発売だった。
ワーグナーの《ニーベルンクの指環》の第1作に対する反応は、このレコードの価値を知っていた私たちまで含めて、誰の予想をもはるかに超えたものだった。そしてその芸術的水準と技術力が、批評家と一般の双方から評価されるという、特別な—そして稀少な—偉業の一つとなったのである。売行きも、いかなる基準に照らしても驚異的なものだった。
私はデッカに、次のような提案をすればよかったと後悔している。《ラインの黄金》発売から5年間、私の給料を停止して、その代わりに印税として、総売上げの内のわずか2パーセントをくれないか、と。そうしたら、私はお城に住めただろうと思う。
~ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P285
リヒャルト・ワーグナー畢生の大作を、当時の世界的人気歌手を集めて収録したカルショーの手腕。ショルティの指揮については賛否両論あれど、それでもこの録音の価値は決して落ちることはない。1876年、バイロイト祝祭劇場での上演を振り返っての、作曲者の詳細に至る論考を思い出すまでもなく、カルショーはレコードという媒体でそのときの上演に匹敵するものを生み出したのだと言っても言い過ぎではないだろう。
私は自作の神々や、巨人や、英雄たちには、上背のある筋骨たくましい歌手しか使えないと思っていたので、一部のすぐれた歌手には声をかけなかったわけであるが、出演者の選定に際して、こうした面でも完全に満足のいく結果が得られたのは、一つの僥倖だった。これは誰しも驚きの目を見張ったのだが、ニーベルング側の二人の配役はいま言ったような意味でもうまくいって、とりわけ〈ミーメ〉は大変な人気を博することになったが、反面、〈アルベリヒ〉に扮したカール・ヒルのすぐれた演技がその真価にふさわしい十分な評価を受けなかったのは今もって私には不思議でならない。私はわが国の公衆が、通常舞台の成果を判断するさいに—現状において望み得る最善の場合でも—芸術上の印象よりは倫理的な印象に左右される傾向があるとかねがねにらんでいたが、そうした私の日頃の所見がヒルにまつわる経験によってあらためて裏書きされたのであった。
(三光長治訳「1876年の舞台祝祭劇を振り返って」)
~三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P105-106
ワーグナーの自作への単なる愛着とは思えない、あらゆる芸術への慧眼が垣間見える。
ショルティの偉大なる録音において、ミーメを歌ったパウル・クーン(「ラインの黄金」)、あるいはゲルハルト・シュトルツェ(「ジークフリート」)の名唱もさることながら、アルベリヒを演じたグスタフ・ナイトリンガーの恐るべき歌に僕はいつも感嘆の念を覚える。
音楽学者デリック・クックをナレーターに迎え、ショルティの「ニーベルングの指環」の音源を使用して、数多のライトモティーフをガイドした音盤は「指環」への入門盤であり、(大袈裟にいうと)「指環」愛好者必携の音盤でもあろう。
・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」入門ガイド
デリック・クック(ナレーター)(1967.2録音)
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1958-65録音)
200近くに及ぶライトモティーフが2枚組40のトラックで懇切丁寧に説明された、「指環」入門編。日本語対訳の付かない、クックの英語による解説なので、英語に慣れない人には疲れる以外の何ものでもないが、それでも繰り返し触れることで、「指環」の全貌を理解する大いなる手助けとなるセットだ。
例えば、「ジークフリート牧歌」の主題と「ジークフリートの愛への憧れ」のモティーフを対比させながらのクックの詳細な解説などはとてもわかりやすい(どのトラックも懐かしくも感極まるモティーフでいっぱいで、ワーグナー・ファンには堪らない。まずはライトモティーフを攻略すべし、ということで、「指環」入門におすすめ。