朝比奈隆指揮新日本フィル ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」(1998.3.16Live)ほか

長生きこそ最高の芸術である。
(朝比奈隆)

朝比奈隆は、東京でもベートーヴェンのツィクルスを2度敢行した。幸運にも僕はその2度とも実演に触れることができた。最初の、昭和から平成をまたぐツィクルスの記憶は、いまだ消えることがないほどの感銘を僕に与えてくれた。後に音盤化されたセットは、今も僕の座右の音盤として棚に鎮座するが、やはりあの実演に接したものだけが知る、ライヴの朝比奈隆の凄さが、100%、否、120%投影されていたのが、一世一代のあのツィクルスだった。

同じく新日本フィルハーモニー交響楽団との、1997年から98年にかけての2度目のツィクルスは、残念ながら(少なくとも僕には)感動が薄かった。老練の棒が、余計なものを削ぎ落し、一層スリム化(?)された孤高のベートーヴェンを奏でたが、80年代の、コレステロールたっぷりなと言っても良いくらい重厚でテンポも遅い、あの演奏の記憶を前にしてはどうにも物足りなかったのである。

先年、この時のツィクルスがfontecからリリースされたが、僕は長い間手に取ることを躊躇った。以前なら、何を措いても真っ先に手を出していたであろう朝比奈御大の、しかも自分がその場に居合わせることのできたコンサートの記録に、食指が動かないのだから僕のセンス、志向も随分変わったものだと、我ながら驚いたものだ。

ようやく耳にしたあのツィクルスの記録を、懐かしい思いで聴くことはできても、やはり僕の心を圧倒的な感銘で捉えることはなかった。
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」。ベートーヴェン屈指の大自然讃歌、いや、というより楽聖の内なる真我が発露された慈しみの交響曲は、かの1989年のサントリーホールでの朝比奈御大の演奏が最高にして最美だと今の僕は考えるが、やっぱりあのときの演奏を超えることはない。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1997.9.25Live)
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1998.3.16Live)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

しかしながら、それでも僕の心に響いた箇所が一つある。
それは、終楽章「牧歌 嵐の後の、神への感謝と一緒になった慈悲深い気持ち」のコーダで、かつてヘルベルト・ケーゲルが最後の来日公演でやってみせたような、(神々しいクライマックスの後)テンポをぐっと落とし、まるですべての終末を予感し、至高の祈りでもってそれらを追い払わんとするような、たとえようのない救いの寂寥感がここでも披瀝されていたのである。そこにはほとんどベートーヴェンの魂が乗り移った朝比奈隆の慈悲の心の投影だと思わせるような最高の瞬間が刻印されていた。
果たしてあの日、会場にいた僕がそこまで心震わせていたかどうかは怪しいのだが。

終演後の拍手喝采の中に僕がいる。

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