アックス スターン ラレード マ ブラームス ピアノ四重奏曲第3番(1986.11.21録音)ほか

35年前の、サントリーホールでの年齢の離れた若者たちとの喜びの分かち合い。
アイザック・スターンは、かつてソリストが室内楽に興味を持つ理由を聞かれ、次のように答えたという。

それは、室内楽をやるほうがソリストであるよりずっとむずかしいからです。それだけでなく、室内楽は、音楽を表現する上で最上の方法であるからです。そして、もっとも美しい音楽形態であり、室内楽を知らなくて本当のすばらしいソリストになることもできないのです。室内楽こそ音楽のエッセンスであるのです。
~CR8242-3ライナーノーツ

そう言うスターンは、どんなときも(老若男女問わず)仲間たちとの合奏を好んでいたそうだ。緊張感を伴う独壇場たるソロももちろん愉悦の極みだろうが、音楽の喜びは文字通りアンサンブルにあろう。晦渋な音調の中に垣間見える筆舌に尽くし難い喜びの音よ。ピアノ四重奏曲第3番ハ短調作品60。ブラッド・メルドーが指摘するように、交響曲第1番ハ短調作品68同様、この曲にもハ短調からホ長調へと移行する、ブラームスならではの絶妙なひらめきの展開がある。それは、第2楽章スケルツォから第3楽章アンダンテへとバトンが渡される瞬間だ。大いなる喜びは、この曲の着想が、師ロベルト・シューマンの投身自殺を図る前のことであり、それをきっかけに長らく放置されていたものが20年近くの時を経てようやく完成されたという経緯からも容易に想像できる。それこそ重苦しい恐れとクララへのただならぬ思いが錯綜する複雑な心情が吹っ切れた瞬間なのである。

ブラームス:
・ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25(1989.12.11-16録音)
・ピアノ四重奏曲第3番ハ短調作品60(1986.11.21録音)
エマニュエル・アックス(ピアノ)
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
ハイメ・ラレード(ヴィオラ)
ヨーヨー・マ(チェロ)

冒頭、悲劇的な第1楽章アレグロ・ノン・トロッポは、時間を経て、実に楽観的な、また抒情的な音調に転じて行く。心の傷を克服したブラームスの、勇気と愛の結晶なのかどうなのか。そして、いかにもヨハネス・ブラームスというジプシー的な(?)第2楽章スケルツォの弾け具合。

ご一緒に過ごした気持ちのよい楽しい午後のことを、心から愉快に想い出しております。あなたの音楽は私の魂を生き生きと蘇らせ・・・私にはああした喜びをしばしば味わうことが必要なことを切に感じております。ピアノ四重奏曲については、いろいろと考えました。あとの3楽章は私の心情深く浸み込んできたのですが、言うことを許してくだされば、第1楽章は同じ高さではないように思われるのです。新鮮な魅力に欠けています。何が私の心を温めなかったか、はっきりと知るためにもう一度聴きとうございました。同じ気持ちをまた見出すことは、あなたには困難でないでしょう。どうか許してくださいね、私の言っていることは愚かなことかもしれませんから。
(1875年7月23日付、クララからブラームス宛)
ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P214-215

謙虚なクララよ。果たして彼女の直観は間違いないように僕は思う。
そして、結論たる終楽章アレグロ・コモドのブラームスらしい重厚な、圧巻の開放感!

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