朝比奈隆指揮第10回アフィニス夏の音楽祭祝祭管 ワーグナー ジークフリート牧歌ほか(1998.8.19Live)

蒸し暑い夏の日だった。
すみだトリフォニーホールで聴いた、アフィニス夏の音楽祭。
何もしていないような不器用な棒だが、その日の朝比奈隆の指揮は相変わらず、否、その頃の中でも特に際立っていたように記憶する。

「いま、日本のオーケストラが一番必要としているのは、プロの実力向上」と、朝比奈は言う。「若い人は技術はあるが、ベテランに学ぶべきものはまだまだ多い。私にとっては、若手の水準を確かめるいい機会でもある」
演奏会にも増して朝比奈が重視するのは、公開練習だ。特に音楽学生に来て欲しいという。「人の練習を見ることは大切です。私も若いころ、近衛秀麿先生の練習を見学して、ずいぶん勉強させてもらった。見たからすぐにうまくなるわけじゃないが、現場には、音楽学校で学べないことがたくさんある。プロでもあんなに不細工か、と分かるだけでもいい(笑い)」

~1998年7月31日(金)朝日新聞夕刊

当時90歳の朝比奈は、ストコフスキーの記録を破らんと、少なくとも95歳までは現役を通すことを目標にしていた。いつもと同じように、その日のブラームスはどっしりと重厚で、浪漫香る音調を示していた。楽章が進むにつれ、音楽は俄然力を増し、終楽章の巨大な、大伽藍のような音の構造物に、客席の僕はのけ反るような思いで音楽を追っていたことを思い出す。もちろんその印象は音盤でも変わることはない。

・ワーグナー:ジークフリート牧歌
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
朝比奈隆指揮第10回アフィニス夏の音楽祭祝祭管弦楽団(1998.8.19Live)

小編成の室内オーケストラで奏された「ジークフリート牧歌」が一層素晴らしい。これほど脱力で自然体のワーグナーはなかなかなかろう。それはたぶん、朝比奈隆がオーケストラに主導権を委ねていたからだろう。慣れない作品を指揮するときの朝比奈は常にそうだった。構造上重要なポイントだけは押さえ、後は奏者に任せるという御大の方法が、一見何もしていないように見えるも、それこそワーグナーが妻コジマに宛てた愛のメッセージの如く静かに、時に爆発しながら僕たちの心にじんわりと沁みるのである。

ちなみに、この日のプログラムの1曲目は金聖響指揮によるコープランドの「市民のためのファンファーレ」だったが、あれも清々しい、直球の名演だったと思う。

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