メイエ センステヴォルド サロネン指揮ニュー・ストックホルム室内管 R.シュトラウス 二重小協奏曲(1987.12.3録音)ほか

1945年、リヒャルト・シュトラウスは、ドイツ各地の文化や風土が戦争によって大半が破壊された事実に嘆き悲しみ、その思いを「メタモルフォーゼン」に投影した。
4月12日完成、副題には「23人の独奏弦楽奏者のための習作」と記され、自筆譜の最後には「追悼!」と書き込まれている。
祖国の悲惨な状況に老大家は何を思ったのだろう。

いわば諸行無常の表現であり、文字通り変化ある相対世界の儚さの暗示かどうなのか、あるいは敗戦色濃厚な祖国の終焉と、自らの生命の終わりを対照し、遺書たる作品を認めようとしたのかどうなのか。音楽は最初から最後まで静謐で、哀感満ちる音調だ。

若き日のエサ=ペッカ・サロネンは、ブーレーズの解釈に近い知性を感じさせながら、どこか豊穣な、人間らしい希望に満ちる音楽を奏でる。

リヒャルト・シュトラウス:
・メタモルフォーゼン(23人の独奏弦楽器のための習作)(1945)(1987.6.6録音)
・クラリネット、バスーン、弦楽合奏とハープのための二重小協奏曲ヘ長調(1947)(1987.12.3録音)
・歌劇「カプリッチョ」から前奏曲作品85(1940-41)(サロネン編曲による弦楽合奏版)(1987.12.3録音)
ポール・メイエ(クラリネット)
クニューテ・センステヴォルド(バスーン)
エサ=ペッカ・サロネン指揮ニュー・ストックホルム室内管弦楽団

最晩年のシュトラウスの作品は、余分なものが削ぎ落された、無為自然の音楽だ。
表現を変えれば厭世的ともいえる音調が、しかしすべてが調和に向かう、新たな生命力に満ちている。珍しい組合せの二重小協奏曲の喜びは希望の象徴か、あるいは老体たる自身への揶揄を込めての道化の証明か。メイエもセンステヴォルドも実に丁寧に、そして愉悦を込めて傑作を表現する。それにしてもサロネンは真面目だ。堅牢な構築物を前に一糸乱れぬ緊密なアンサンブルでもってシュトラウスの最後の輝きを再生せんと真剣勝負!(当たり前だけれど)

11月末、ルガーノのスイス=イタリア放送局のために、クラリネットとファゴットのための二重小協奏曲「デュエット・コンチェルティーノ」のスケッチを終える。翌48年4月に初演されたこの曲に、シュトラウスはアンデルセン童話「王女と豚飼い」のプログラムを忍ばせていたといわれる。クラリネットが王女を、ファゴットが豚飼い(実は王子)を巧みに描き出す。この曲がシュトラウス最後の器楽曲だった。
田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P391

第1楽章アレグロ・モデラート、第2楽章アンダンテ、そして終楽章ロンド、アレグロ・マ・ノン・トロッポは休みなく連続で演奏されるが、全編通じて感じられる郷愁は、晩年のシュトラウスの本懐。走馬灯の如く人生を振り返らんと、独奏とオーケストラが一体となって悲喜交々歌う様子が愛らしい。

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