ワルター指揮コロンビア響 モーツァルト 交響曲第28番K.200(1954.12.3録音)ほか

ブルーノ・ワルターの回想録の締めくくりの言には、次のようにある。

音楽というものは、常に交代するその感情の表現にかかわりなく、慰めるという永続的な使命を持っている。不協和音は協和音に向かおうと努める。そして解決されずにはいない。どんな音楽作品も協和音で終わるのである。だから元素としての音楽は楽天的な性質のものなのであって、私は、自分の生まれ持った楽天性はこれと関係あるのだと信じている。しかし、私の人生に及ぼしたその最も深い決定的な作用は、偉大な巨匠の作品においてわれわれに向けられている音楽のあのいっそう高い使命、交響的なアダージョにおいて最も神聖に表現されているあのいっそう高い使命を果たしたのである。教会は、このうえなく荘重な儀式のためになぜ音楽の力を呼びだすかを知っている。言葉もなく鳴りひびくその福音が、人間の貧しい魂が生のかなたに求めるものを、だれにも解る言葉で、慰めるように告げ知らせるからである。私には、音楽に仕えるという恩寵がわけ与えられた。そして音楽は私に道をさし示し、すでに子供のときから漠然と、のちには意識して努力した方向から、私をそらさなかった。そこに向かって私の希望と確信は進んでいるのである—ノン・コンフンダル・イン・アエテルヌム(ワレ、トワニ迷ワザラン)。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏—ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P458

いかに彼にとって音楽というものが人生の福音であり、またそれを世界に届けることが使命であったかがよくわかる。最期まで迷わず、全うできるもの、事に出逢えた者は幸せである。

盟友ヴィルヘルム・フルトヴェングラー死去の直後に録音されたモーツァルトを聴くが良い。まるで、疾風の如く過ぎ去る例のフルトヴェングラーのト短調交響曲を髣髴とさせるような、小ト短調交響曲第1楽章アレグロ・コン・ブリオの生命力。ほとんどフルトヴェングラーの魂が憑依しているのではないのかと思えるほどの愛と死の深み。

モーツァルト:
・交響曲第25番ト短調K.183(173dB)(1954.12.10録音)
・交響曲第28番ハ長調K.200(189k)(1954.12.3録音)
・交響曲第29番イ長調K.201(186a)(1954.12.29&30録音)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

素晴らしいのはハ長調K.200(189k)。この、あまり演奏されることのない、若きヴォルフガングによる可憐な交響曲の透明な美しさ。第1楽章アレグロ・スピリトーソはもちろんのこと、愛すべき「交響的アダージョ」たる第2楽章アンダンテの、かの巨匠への追悼の辞の代わりのような筆舌に尽くし難い哀感。そして、躍動感溢れる第3楽章メヌエットを経て、終楽章プレストの妙なる幸福感!(いつどんなときもモーツァルトは幸せだった。陰陽を超え、至純の光をとらえていたのではないかと思えるほど音楽はどの瞬間も愛らしい)。老ワルターの唸り。いかに彼が本気でモーツァルトの音楽に向き合っていたかがわかる。

また、イ長調交響曲も、第1楽章アレグロ・モデラートから勢いたっぷり、颯爽たる名演奏で、胸がすく。第2楽章アンダンテがこれまた絶品。一方、多少手綱を緩める第3楽章メヌエットの包容力富む牧歌的雰囲気に涙し、続く終楽章アレグロ・コン・スピーリトの中庸の表現に感無量。

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