
モーツァルトの音楽は、あるときから娯楽性を失い、人間の深層に訴えかける哲学的なものに昇華されていった。芸術というのは得てしてそういうものだ。亡くなってからむしろ評価が高まるというのが世の常。残念ながら当時の聴衆は、モーツァルトの精神性についていけなかったのである。
彼のオペラに至っては、19世紀にはほとんど振り向かれることなく、当時流行りのロッシーニの勢いにあっけなく押されていたというのだから驚きだ。
フランスの観客にとっては水割りではない本物のボーマルシェのほうがいいに決まっていたろうし、イタリア人は確実にロッシーニの《理髪師》のほうが好きだった。そういうわけでプランシェやビショップの頃のロンドンの劇場では、難問を解決する常套手段としての“妥協”によって《フィガロ》と《理髪師》を巧みにつなぎ合わせて一つのオペラにしていた。《ドン・ジョヴァンニ》(1787年)は、モーツァルトのオペラの中では最も有名なものと見られてきた。その理由は、これがロマン派にとって飛びつきやすい要素を持っており、彼らが自分なりに解釈し、自分たちのものにしてしまうことができたからである。
~エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P9-10
実に不思議だが、普遍的なものは「その時」にはわからないものなのである。
19世紀にモーツァルトが忘れられていたことには、もう一つ強力な理由がある。ベートーヴェンとワグナーが次第に台頭したことである。イギリスといわず、ドイツやその他の国といわず、音楽と人生、あるいは音楽とこの二人の作曲家に代表される思想、との関係について、新しいビジョンを持とうとするような社会では、イタリア・オペラの軽薄さと不真面目さに嫌悪と軽蔑の念を抱き、背を向けるのは当然のことであった。
~同上書P17
それもこれもプロセスに過ぎないことは、時間の経過とともに次第にわかってくる。器楽の重要性を知らしめたのはベートーヴェンであり、劇場作品の別の側面を見せたのはワーグナーその人だったからだ。すべてはやはり「つながっている」のである。
ウィーン時代全盛期の圧倒的な重量感、短調のピアノ協奏曲の素晴らしさ。ライトナーの指揮によるオーケストラ提示部の深遠さにまずは言葉を失う。何という巨大な音楽であろうか。それにケンプのピアノの何という心地良い温かみ。巨匠はモーツァルトに共感する。暗澹たる重みの中に垣間見える喜びに感応するかのようだ。白眉は、第2楽章ラルゲット。颯爽と駆け抜ける一陣の風が、寂しさを吹き飛ばし、そこには前向きな希望を喚起する力が漲る。そして、愉快な終楽章アレグレットに乾杯。全曲で30分超。これぞベートーヴェンを経てワーグナーに受け継がれていった思索的モーツァルトの醍醐味。最高だ。