マリー・ダグー伯爵夫人によるジョルジュ・サンドの印象描写が興味深い。
ノアン滞在は私にとっていいものだった。ジョルジュの快活さはあまり気に入らなかったが、それでもあの陽気さのたんこぶを生むことになった。それはふだん私の額に生えることはめったにないのだが。ジョルジュはまた私の中に有る詩的な感覚を拡大してくれたので、その結果、楽しむ能力を新たに開花させることになった。そして自己認識が安定してきた。極端な不信感を脱し、個人としての自己の価値をより正当に評価できるようになった。自己評価が高すぎるのはよくないが、低すぎるのは非常に有害だ。そもそも確信していたことは、個人と個人の間に深淵などないということ、結局知性はそれほど大差はないということ、二人のうち一人がもう一人を断然圧倒しているはずだと思える場合でも、心根の優しさだとか、何か性格の優れた点がしばしば二人のバランスを回復するということだ。簡潔に言おうか?私にとって無駄ではなかったのは、大詩人ジョルジュの傍らに、やんちゃな子供のジョルジュがいると分かったこと、感情も意見も揺れ動き、大胆でありながらか弱き女でもあるジョルジュ、いつも事の次第に左右され、理性と経験に従うことはまれで、生活に一貫性がないジョルジュを知ったということだ。
(1837年7月24日付日記)
~マリー・ダグー著/近藤朱蔵訳「巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記」(青山ライフ出版)P115
おそらく気性の激しい、一般的では決してない、当時としては非常識な(?)女性だったのだろうと思う。そういう女性がこの後ショパンに出逢い、8年間というもの人生を共にするパートナーになるのだから、関係はショパンの芸術を間違いなく左右したであろうことを想像するのは容易だ。
1839年の夏、ショパンはジョルジュ・サンドと共に過ごしたノアンでソナタ変ロ短調を完成する。この、ソナタというには異形の、革新的な作品は、特別な愛人とのいわば安息のランデヴーの中で、飛翔した魂の傑出した産物なんだとあらためて思う。
ここでいま変ロ短調の《ソナタ》を書いているが、これは君がすでに知っている行進曲がはいるはずだ。アレグロが一つ、変ホ短調のスケルツォ、行進曲、短いフィナーレ―ぼくの原稿用紙で3ページぐらいだ。行進曲のあと左手が右手とユニゾンでおしゃべりをする。
(1839年8月8日付、パリのジュリアン・フォンタナ宛書簡)
~アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P252
このときのショパンは創作力旺盛だったようで、他にノクターント長調作品37-2や4つのマズルカ作品41などが完成されている。
サンソン・フランソワのショパン。
録音から60年近くを経ても、フランソワの革新性は何ら変わることがない。それは決して奇天烈ではない。洗練され、どの瞬間もセンス満点で、あるときはショパンの内なる愉悦を、そしてあるときは彼の内なる悲哀を見事に表現する。
ソナタ第2番第1楽章序奏グラーヴェから独特のテンポ・ルバートに支配され、すでにフランソワの独壇場!マズルカ全曲にも通ずるが、フランソワの演奏は自然体でありながら、そこには軽々とした粋な遊びが常にあるのだ。明快な第2楽章スケルツォの力強さと憧れ、また、第3楽章レント葬送行進曲の荘厳さとトリオの安寧、どこをどう切り取っても心身ともに健全たるショパンの顕現。最高なるは、終楽章プレストの、宙より出でて宙に帰す音の綴れ織り。そのマジックは、続くソナタ第3番にも受け継がれる。何て明朗で、何て美しい第1楽章アレグロ・マエストーソの入りなのだろう。