アファナシエフ ブラームス 7つの幻想曲作品116ほか(1993.10録音)

いつか伝説的な「幸福な」人間が実際にいたにせよ、ねたましさをもってたたえられた幸運児や、太陽の愛児や、世界支配者も、わずかに時々、はなやかな恵まれた時間、あるいは瞬間には、大きな光に照らされたにせよ、彼らはほかの幸福は体験しえず、ほかの喜びにはあずかりえなかったのだ。完全な現在の中で呼吸すること、天球の合唱の中で共に歌うこと、世界の輪舞の中で共に踊ること、神の永遠な笑いの中で共に笑うこと、それこそ幸福にあずかることである。多くの人はそれをただ一度だけ、あるいは数回だけ体験した。しかしそれを体験した者は、一瞬のあいだ幸福であっただけでなく、没時間的な喜びの光輝やひびきのなにがしかをも得てきたのである。
「幸福論」
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「幸福論」(新潮文庫)P56

晩年の、厳めしい風貌からは想像もつかない、愛情に溢れる音楽たち。あるいは、ピアノの名手だっただけのことはある、若き日の、溌溂たる、挑戦的な、それでいて浪漫の色彩鮮やかなピアノ作品の鷹揚な美しさ。これほど器の大きい音楽が他にあろうか。文字通り「共に歌い、共に踊り、また共に笑う」幸福に満たされた「音」がここにはある。

ブラームス:
・4つのバラード作品10
 ―第1曲ニ短調
 —第2曲ニ長調
 —第3曲(間奏曲)ロ短調
 —第4曲ロ長調
・2つのラプソディ作品79
 —第1曲ロ短調
 —第2曲ト短調
・7つの幻想曲作品116
 —第1曲カプリッチョニ短調
 —第2曲間奏曲イ短調
 —第3曲カプリッチョト短調
 —第4曲間奏曲ホ長調
 —第5曲間奏曲ホ短調
 —第6曲間奏曲ホ長調
 —第7曲カプリッチョニ短調
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)(1993.10.8-10録音)

4つのバラード作品10。気のせいか(?)東洋的な、エキゾチックな味わいがアファナシエフの弾くブラームスにはある。深い哲学的思念の反映がそう感じさせるのかどうなのか、それはわからない。第4曲ロ長調など、あまりに呼吸が深く、沈潜していく音の粒に涙がこぼれるほど(速度指定はアンダンテ・コン・モート!!)。
また、2つのラプソディ作品79は、弱音と強音のコントラストが巧み。激しく唸る第1曲ロ短調アジタートの主部の激性と眠るような中間部の癒しとのバランスが、また、第2曲ト短調モルト・パッショナートでは、終始まとわりつく暗い熱情の顕現が見事。

東方と西方との間の真剣な実り多き理解は、政治的社会的領域において、私たちの時代の大きなまだ達成されない要求であるばかりでなく、それは、精神と生命の文化の領域でも、一つの要求、緊要な問題であります。今日では、日本人をキリスト教に、ヨーロッパ人を仏教や道教に改宗させるというようなことは、もはや問題ではありません。私たちは改宗させたり、改宗させられたりすべきではありません。そういうことを欲しもしません。そうではなくて、心を開き、ひろげるべきです。
「日本の私の読者に」
~同上書P246

ヘッセは形だけのことは不要だと説く。必要なのは偉大なるものへの信仰だけだと、「心を開く」という言葉を借りて言うのである。アファナシエフのブラームスは開かれている、そしてまた、拡がりさえをも獲得している。

そして、7つの幻想曲作品116は、夢見るアファナシエフの夢の現実的描写の如し(音が実にリアルでまた優しく、愛らしい)。引いては寄せ、寄せては引く、瞑想の瞬間と覚醒の瞬間が交互に明滅する。何という暗いパッション!

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