朝比奈隆指揮新日本フィル ブルックナー 交響曲第5番(1992.9.2Live)

1992年7月15日のサントリーホールは、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の第31回東京定期公演。プログラムは、ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調作品21と第3番変ホ長調作品55「英雄」というものだった。当日参戦した僕は、4年前のツィクルスでの名演奏を上回るものを期待していたのだが、感銘という意味では、残念ながらそれを上回るものではなかった。あくまで個人的な感想なのだけれど。少々お疲れなのかなと思ったくらい、集中力に欠け、散漫とした瞬間があったと記憶する。

公演の翌日、ホテル・オークラにて金子建志氏とのインタビューが行われた。そこでは、同年9月と翌年2月に開催される「ブルックナー選集」について朝比奈御大本人から詳細が語られており、内容は作品への思い、また解釈についてのご自身の考えなど多岐にわたり実に興味が尽きない。

しかし、これをやるのか・・・(笑)、長くて重い曲ですが、〈エロイカ〉よりはいいでしょう。あの緊張の1時間というのは、もう2度と・・・。(大阪フィルとの東京での演奏で)これで終りだ、と思いましたからね。記憶とか技術じゃなくて、自分の感情みたいなものを、ダーッと持ち続けていかなきゃいけないので、本当に疲れます。その点〈5番〉は、方程式を見るような感じでちゃんといけますから。
~朝比奈隆 ブルックナー自選集 新日本フィル 特別演奏会Iプログラム

その後、御大は東京で幾度か(2度?)「エロイカ」を採り上げられているので、「終り」ということではなかったのだが、7月の演奏は本人も決して納得のいく出来ではなかったのだと思われる。しかしながら、9月に始まった「ブルックナー自選集」は、すべてが自家薬籠中の作品であり、いずれもが新鮮で新たな、堂に入る名演奏だったことを僕は昨日のことのように思い出す。それにしても第5番が、朝比奈御大の「方程式を見るように」という言葉通り、構成の完璧な、非の打ちどころのない作品であることを痛感する。楽譜通りに愚直にやれば、黙っていてもそれなりの名演奏を打ち立てることができると御大は言うのだ。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ハース版)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1992.9.2Live)

80分の威容。弦の音は優雅で、木管は優しく、そして金管は朗々と鳴り、打楽器は地鳴りのように轟いた。この日の演奏を聴いて初めて僕はこの交響曲の真価を知った(1990年7月のBUNKAMURAオーチャードホールでの大阪フィル東京公演も同曲だったが、正直あのときは完全につかみ切れていなかった)。第1楽章序奏アダージョから恐るべき緊張感に満たされ、音楽は生命力をもって進行する。主部アレグロの力強さと推進力(遅いテンポに支えられながらも音楽はその前進性を決して失わない)。続く、第2楽章アダージョの深淵なる森羅万象の木霊よ。そして、あまりに人間的な第3楽章スケルツォを経て(トリオの安寧)、極めつけは終楽章アダージョ―アレグロ・モデラートの宇宙的拡がり。拡散と収斂のバランスの妙とでもいうのか、あるいは、遠心力と求心力の掛け算とでも表現するのか、1度や2度では理解できない奧妙な力が働く、まさに天人合一の技。特に、コーダ直前からの揺るぎない確信のもとに発せられる怒涛の音響は、朝比奈芸術の粋であり、また、ブルックナー芸術のクライマックスを築くものだ。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む