クリュイタンス指揮ベルリン・フィルのシューベルトは「未完成」交響曲。
同楽団との例のベートーヴェン全集を髣髴とさせる純ドイツ風の堂々たる風趣。久しぶりにこの名曲に聴き入ってしまった。
音楽で大切な要素は色彩とニュアンスだ。録音からどれだけ時間を経ようとも、廃れないものは廃れない。永遠なのである。クリュイタンスのシューベルトは文字通り「永遠」だ。
未完の作品の作曲経過をたどると、彼がスケールの大きな交響曲を構成するか、それとも彼独自のメロディにあふれた内的な親密感を目指すかという岐路に立たされていたことがわかる。つまり彼のように超人的な高みに登りつめるか、それともビーダーマイアー的なつつましい世界で充足するかという二律背反が、同時に彼の心に宿っていたわけだ。もちろん彼はそれをひとつに融合することが交響曲という音楽形式の意味だと自覚してはいた。
~喜多尾道冬著「シューベルト」(朝日新聞社)P166
喜多尾さんのこの見解に膝を打つ。
シューベルトが目指した二律背反の融合を、「未完成」の交響曲相手に再現しようとしたのがアンドレ・クリュイタンスその人だったのだと思った。あまりに優しく、内的な美しい旋律と、巨大なスケール感を伴う「超人的」音の建造物の同時再現に快哉を叫ぶ。第1楽章アレグロ・モデラートの生き物のような有機性、また、クライマックスに向けてうねる呼吸の深さに感動。第2楽章アンダンテ・コン・モートは、オーボエからクラリネットへと受け継がれる第2主題のあまりに恍惚とした(?)懐かしい歌に言葉がない。
一方、タッキーノをソリストに据えた、ベルリン・フィルとの最後の録音であるベートーヴェンのピアノ協奏曲ハ短調の実にコクのある力強い響きに、クリュイタンスのベートーヴェンへの底なしの愛情を思う。録音当時28歳だったタッキーノのピアノもクリュイタンスの棒に引き摺られ(?)実に雄弁。中でも、第2楽章ラルゴの静かな瞑想は、冒頭から瞠目に値するもので、音の一粒一粒が煌めき、何とも美しい。また、それに対応するオーケストラの情感豊かな音色に指揮者も芯から感じているのだろうことがよくわかる。さらに、終楽章ロンドの人心を鼓舞する喜びと勇気の発露に、未来への希望を謳おうとしたベートーヴェンの意思の見事な再現を思う。