
相変わらず外面は沈着冷静で、直線的、浪漫の影すら見当たらない。
しかし、古い録音ながら、多少歪のある録音ながら、音楽そのものは流暢に流れ、非常に聴きやすい。テンポは速過ぎず、遅過ぎず、音楽そのものが心の奥底にまで届き、魂に染みるものだ。
ムラヴィンスキーのブラームスは、「強い内面的衝動にもかかわらず、表面的形式を厳密に、はっきりと強調するもので、人生の悲劇的な現実を抱えている様子を思わせる」のだとジークリード・ネーフはいう。後年、レパートリーから消えてしまったブラームスの交響曲第1番など、唯一無二の、ほかでは決して聴くことのできない内燃するパッションに満ちていることがわかる。
ムラヴィンスキーは多くの同時代の芸術家に愛された。
同時に彼自身も、同時代のたくさんの芸術仲間を愛した。
とても人間的な人なのである。
ウィーンでのある演奏会の聴衆のひとりに、偉大なバレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレーエフがいた。彼はキーロフ劇場のダンサー時代に、レニングラードでのムラヴィンスキーのコンサートを何度も聴いていた。このコンサートの後、ヌレーエフはアレクサンドラ・ヴァヴィーリナに近づき、ムラヴィンスキーに会えないかと頼んだ。約束の時間に、彼はムラヴィンスキーのホテルを訪ね、過ぎ去った日々のことを話して楽しくも懐かしいひとときを過ごした。別れ際に、ヌレーエフは巨匠に頭を低く下げて、ともに過ごせたことに感謝して彼の手にキスした。それは国外に亡命した男と、すべてを拒みながら国の内外で成功を収めた男、ともに偉大な芸術家で愛国者のただ一度の会合だった。
ムラヴィンスキーの日程に他のコンサートに出かける余裕があったなら、レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮したショスタコーヴィチの交響曲の感傷的で陽気な演奏を聴きたいとの願いがあったが、残念ながら実現しなかった。
~ グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P313
何とも心温まる素敵なエピソードだ。
ウェーバーの各曲も実に即物的な解釈でありながら、内から沸き立つエネルギーはすごい。中でも「魔弾の射手」序曲は、オーケストラも異なり、音質も決して良いとは言い難いが、音楽の隅々まで張り詰められる緊張感と拡がりに、そして前進する勢いに指揮者の大いなる熱が感じられ、心が動く。