漢字を創ったのは、黄帝の史官であった蒼頡だそうだ。
この人が作った漢字は、読み解いていくといちいち奥深い。
ちなみに、「聖」という漢字は、「耳」と「呈」という字から成り立っている。
つまり、「耳を呈(しめ)す」ということだ。
耳をどこに呈すのか(何を聴くのか)?
それは、”Sound of Silence”(静寂の音)、それは音にならない天の声を聴くことに他ならない。晩年、難聴に悩み、最後は聾になってしまったベートーヴェンが「楽聖」と称される所以はそこにあろう。相対の世界にあって、まして音楽家にとって最重要ともいうべき聴覚を失った彼は、心の耳で天と通じることができたのである。
山田一雄が晩年、札幌交響楽団と共演したベートーヴェン・ツィクルス。
冷静さの中に垣間見える楽聖への愛。
管弦楽の乱れは随所に散見されるが(金管群が弱い)、指揮者の熱意と興奮は十分に伝わってくる名演奏揃いだ。ここでの山田の熱は決して熱くない。冷徹でありながら誠心誠意の音。彼の生み出す音楽は実に冷たい熱として僕たちを興奮させるのである。
チクルスが始まると、《運命》や《第九》のような聴きなれた名曲にも、ヤマカズさんは新しい息吹を吹き込んだ。全員が暗譜するほどの演奏回数をこなしている楽団員達だが、このチクルスでは、まるで初めて楽譜を目にするような気持ちになって演奏した。全ての楽曲が楽譜の向こうに何があるのかを問いかけるような、そして聴衆に聴いてもらうと言うよりは、その想いがベートーヴェンへ届け!とばかりの渾身の指揮振りに、会場は深い感動とともに打ち震えたのだった。
(竹津宜男「回想~山田一雄と札響のベートーヴェン」)
~TWCO-1001/5ライナーノーツ
当日の様子を想像するだけで思わず感動がこみ上げる。
ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1990.2.22Live)
・交響曲第7番イ長調作品92(1989.4.26Live)
山田一雄指揮札幌交響楽団
颯爽と進められるハ短調交響曲。例によって山田の唸り声も聞かれ、気合い充分(特にティンパニ!)。第1楽章アレグロ・コン・ブリオの全身全霊(灼熱の再現部)!続く第2楽章アンダンテ・コン・モートは、音の一つ一つを丁寧に噛みしめるように歌われる。そして、第3楽章アレグロは札響の面々にもようやく指揮者の熱が伝播したのか、かなりの思い切りと情熱で音楽を心から奏でる様子がうかがえる。極めつけは終楽章アレグロだ。(余分な)反復は削られ、音楽は求心力と遠心力をもって、集中し、そして拡散し大いなる世界を包み込む(最後のフェルマータの余韻よ)。嗚呼!
あるいは、イ長調交響曲も渾身の名演奏。第1楽章ポコ・ソステヌート—ヴィヴァーチェから怒涛の終楽章アレグロ・コン・ブリオまで文字通り生き物のように音楽が奏でられる。何より奏者が指揮者を尊敬し、この人のためなら、という想いをもって音を紡ぐ第2楽章アレグレットが素晴らしい。