年が明けた。本格的な壬寅年の始動に当たり想いを新たにする。
新年を祝うにはやっぱりウィンナ・ワルツだろう。
ウィンナ・ワルツはウィーンっ子でないと正統に表現できないともいわれるが、愉悦を享受するのは万国共通、音楽の喜びにただ身を委ねるだけで、こうも心が晴れるとは。何だか魔法のクスリのようだ。
ウィンナ・ワルツの美しさと楽しさとは、ウィーンの生活とともにあってこそ、本来の輝きを発するものだとつくづく思いました。
それが19世紀半ばには、ウィーン人の踊る好みと一つになっていたのでしたが、今日ではすぐれた演奏を聴くことに変わりはしたものの、聴きながらもからだはリズムに乗っていつもこころよい動きをつづける、それがウィンナ・ワルツの音楽としての永遠の生命です。
(村田武雄「ウィンナ・ワルツの楽しみ」
~COCQ-84394→405ライナーノーツ
僕たちは誰しも安心を求めている。
時と場所を超えてウィンナ・ワルツは生き続ける。
ハプスブルク帝国の消滅とともに「ワルツの世紀」は終わった。にもかかわらず、ウィンナ・ワルツが今日なお、みずみずしさを失わないのはなぜだろうか。それはなによりも、生きる喜びと力を与えてくれるからである。三拍子の軽快なリズムは、身を躍らせ心をはずませずにおかない。ワルツは青春である。生を高らかに謳歌する。人々を幸福感でみたしてくれる。
~加藤雅彦「ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産」(NHKブックス)P230
ロベルト・シュトルツの遺産「ウィンナ・ワルツ大全集」(全12枚)。都会的洗練とは遠いローカルな魅力とでも表現しようか、シュトルツのウィンナ・ワルツには、言葉で表せない生粋ならではの味がある。
個人的にはウィーン交響楽団との3曲にシンパシーを覚える。オーケストラの違いはもちろんのこと、録音会場の差も音楽そのものに影響を与えるのだろう(ウィーンは楽友協会大ホール、ベルリンはシュパンダウアー・フェストザール)。例えば、堂々たる序奏、そして典雅な主部をもつ「皇帝円舞曲」の美しさ。また、いかにも自然体な「オーストリアの村つばめ」の生命力。あるいは、「女心」の愛らしさ。これらは生きていることの素晴らしさを教えてくれる。