シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管 チャイコフスキー 交響曲第4番(1957.2.15&18録音)

常軌に従うのか、それとも恣意によって構築するのか、そのギリギリのラインを見極めた爆演(?)とでも表現しようか。特に、ロシア音楽への適性に勝れているように僕は思う。旋律の最後をややリタルダンド気味にすることや、あるいはテンポを速めにとったり、逆に少々遅く感じたり。ただし、造形の全体観としてはとてもバランスに優れているのである。
コンスタンティン・シルヴェストリのチャイコフスキー。

交響曲第4番第1楽章ファンファーレ、ホルン2拍目の3連符の解釈にのっけからのけ反る。それに音楽から伝わる気迫が終始半端でない。あるいは、交響曲第5番終楽章アンダンテ・マエストーソ—アレグロ・ヴィヴァーチェに見る猛烈なパッションよ。これほど動的で生命力に富むチャイコフスキーはなかなかないだろう。

シルヴェストリは音楽をただ単に美しいものとしてとらえようとしていないようだ。彼の中にはいつも冒険がある。

—私はこう考える。人間は生きる瞬間、瞬間、自分の進んでいく道を選ぶ。そのときいつでも、まずいと判断するほう、危険なほうに賭けることだ。極端ないい方をすれば、己れを滅びに導く、というより死に直面させるような方向、黒い道を選ぶのだ。
逆説のようだが、しかし、これは信念であり、私の生き方のスジである。

岡本太郎「原色の呪文 現代の芸術精神」(講談社文芸文庫)P13

岡本太郎の芸術家としての覚悟にはただならぬものがある。
似たようなものを僕はコンスタンティン・シルヴェストリの芸術に感じるのだ。

チャイコフスキー:
・交響曲第4番ヘ短調作品36(1957.2.15&18録音)
・交響曲第5番ホ短調作品64(1957.2.21-22録音)
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団

ロンドンはキングズウェイ・ホールでの録音。
音は少々平べったい印象があるが、それでもシルヴェストリの怪演によって一気に惹き込まれてしまう。時間を空けず、録音された3つの交響曲はいずれも素晴らしいが、最高なるはやっぱり第6番ロ短調作品74「悲愴」だろうか。第1楽章アダージョ—アレグロ・ノン・トロッポの揺れ、そしてコーダの静かな慟哭。シルヴェストリの魂はチャイコフスキーの魂に(常軌と恣意のはざまで)同期しているようだ。

大事なことは、功利的でない、無目的な生のよろこびに全身をぶつけ、真剣に遊ぶことだ。空しい目的意識や卑小な合理主義にふりまわされてしまわないで。自分が〈何々である〉とか〈何々が出来る・出来ない〉ということよりも、〈こうありたい〉、〈こうしたい〉ということのほうを中心に置く。その欲望が実体なのだ。遊びにおいてこそ、無条件の生きがいとプライドをつかみ取ることができるはずである。
~同上書P233

なかなかこうは破天荒にはやれまい。常識の壁を突き破らねば。

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