MILES DAVIS & JOHN COLTRANE “The Complete Columbia Recordings 1955-1961” (1955.10.26-1961.3.21録音)

1957年の3月にニューヨークに戻ってくる頃には、状況は最悪になっていた。オレはとうとうコルトレーンをクビにして、次にフィリー・ジョーのクビも切った。トレーンはセロニアス・モンクの所へ行って、「ファイブ・スポット」に出るようになった。スターになっていたフィリー・ジョーは、いろんな所で演奏していた。トレーンの代わりにソニー・ロリンズを入れて、新しいドラマーはアート・テイラーにした。トレーンを再びクビにするのは辛かったが、最良の友達で、ずっと一緒にやってきたフィリー・ジョーを切るのはもっときつかった。だが、他に方法はなかった。
マイルス・デイヴィス、クインシー・トループ著/中山康樹訳「マイルス・デイヴィス自叙伝Ⅰ」(宝島社文庫)P354

切磋琢磨。あるいは緊張と弛緩。一旦引導を渡しては、時機を見て再度加入を促すというある種駆け引きの方法は、それぞれの進化、深化をもたらすのだろうと思う。何にせよ出逢いと別れを繰り返し、人は成長する。

オレには、トレーンのキャノンボールの二人をサックスにして、バンドをクインテットからセクステットに拡大する考えがあった。そのサウンドは、もう頭の中で鳴っていた。うまくまとめ上げさえすれば、大成功することもよくわかっていた。まだ時間が必要だったが、やがてまとまるだろうという予感はあった。
~同上書P359

先見の明。あるいは智慧。いつでも新しいことにチャレンジすることが必要だ。誰もやったことのないことに挑んでみることが重要だ。

オレは新しいバンドでやる音楽を、もっと自由で、モードに基づき、アフリカ的か東洋的で、西洋的要素の少ないものにしようと考えていた。それにバンドの全員が、自分自身の能力を超えることも期待していた。誰だって、いつもと違うことをやらなければならない状況に置かれたら、たいていはこなせるとしても、そのためには特別な考え方をしなきゃならない。もっと想像力を働かせ、創造的にも革新的にもなって、冒険をしなきゃならない。自分が知っていることよりも、ずっと上のことを演奏しなきゃならない。
マイルス・デイヴィス、クインシー・トループ著/中山康樹訳「マイルス・デイヴィス自叙伝II」(宝島社文庫)P7

音楽活動に限らず、変化、変革は進歩・向上の鍵だ。マイルス・デイヴィスの天才は、枠にとらわれることのない、自由自在の発想力にあったのだとあらためて思う。ちなみに、沖縄の方言では「東」を「あがり」と読み、「西」を「いり」と読むらしい。極東日本はもちろんのこと、当時オリエンタリズム、あるいは第三世界の方法を意識していたマイルスの慧眼はさすが。

ミレニアムの年にリリースされた「マイルス&コルトレーンBOX」(6枚組)は、マイルス・デイヴィス&ジョン・コルトレーンの黄金ユニットの残した記録のすべてを収めたもの。「モダン」というカテゴリーの中で常に新機軸を出すためにはマイルスのようなスタンスが必須だ。

・MILES DAVIS & JOHN COLTRANE:The Complete Columbia Recordings 1955-1961 (1955.10.26-1961.3.21録音)

Personnel
Miles Davis (trumpet)
John Coltrane (tenor saxophone)
Hank Mobley (tenor saxophone) (Disc 5: track 1)
Cannonball Adderley (alto saxophone) (Disc 2: tracks 10-13; Disc 3; Disc 4: tracks 1, 6–9; Disc 5: tracks 3–9; Disc 6)
Red Garland (piano) (Disc 1; Disc 2; Disc 3: tracks 1–6)
Bill Evans (piano) (Disc 3: tracks 7–10; Disk 4: track 1, 4–9; Disc 5: tracks 3–9; Disc 6)
Wynton Kelly (piano) (Disc 4: tracks 2–3; Disc 5: tracks 1–2)
Paul Chambers (bass)
Philly Joe Jones (drums) (Disc 1; Disc 2; Disc 3: tracks 1–6)
Jimmy Cobb (drums) (Disc 3: tracks 7–10; Disk 4; Disc 5; Disc 6)

例えば、1958年7月3日の、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでの黄金セクステットの、求心力と遠心力の双方が効果的なギグの筆舌に尽くしがたい感動よ。また、同年9月9日は、ニューヨーク・プラザ・ホテルでのライブも、実に臨場感がある(楽器のバランスや会場のノイズの様子からライン録りではない海賊録音っぽい雰囲気が漂っていて素敵)。マイルスのトランペットはマイクから遠いけれど、繰り広げられる演奏の熱さは随一のように思う。

「マイルスとモンクは私にとってかけがえのないミュージシャンだ」とコルトレーンは言う。「マイルスが今日のミュージシャンに与えている影響は計り知れない。彼が踏破していないハーモニーの領域はほとんどない。彼の美しいプレイを聴くだけで目の前が開ける。私が何かをひらめいても、マイルスとモンクがすでにやっていることに気づくんだよ」
「彼らから直接学んだこともある。マイルスには代理コードの選択における可能性と、新しいコード進行を教わった」
マイルスとモンクのグループの創造的空気をたっぷりと吸ったコルトレーンは、これまで以上に一匹狼的な印象を強めていた。58年の初め、マイルスのグループに再加入。その後の数ヶ月間で、彼が他のジャズ・プレイヤーに与える影響は急激に高まった。プレスティッジやブルーノート、それにマイルスと一緒にコロンビアに吹き込んだ彼の作品はいずれも、熱っぽい論争を巻き起こしている。

クリス・デヴィート編/小川公貴、金成有希共訳「ジョン・コルトレーン インタヴューズ」(シンコーミュージック)P67-68

退廃感漂う”My Funny Valentine”の色香。そして、演奏の喜びに満ち、乗りに乗った”Straight No Chaser”の興奮。何度聴いても新たな発見がある。

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