ニルソン ウール ショルティ指揮ウィーン・フィル ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」(1960.9録音)

音楽的にはほかにもっと見るべき録音は確かにある。
しかしながら、サウンドトラックのような、まるで映画でも見るかのような錯覚に陥るこの録音は、音楽を立体的に魅せるという意味で他を冠絶する。これはもちろんニルソンの代表的な録音だけれど、彼女の「トリスタンとイゾルデ」でもなければ、指揮するショルティの「トリスタンとイゾルデ」でもない。強いていうなら、プロデューサーであるジョン・カルショーの絶対無比のような「トリスタンとイゾルデ」だ。

時間のかけ方はもちろんのこと、録音に費やした労力が並大抵でない。あらゆる労苦の賜物は、60余年を経ても燦然と輝く。

ショルティはウィーン・フィルと《トリスタンとイゾルデ》を演奏したことがなく、フリッツ・ウールはトリスタン役を歌ったことがなかった。このため私たちは、考えつくかぎり最も金のかかる方法で行くことになった。重役たちはオーケストラの臨時奏者の費用のことを心配していたが、以前から私が何度も提案していた、より経済的な代替案を考えてみようとは、けっしてしなかった。
ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P347

プロデューサーとしてのカルショーの面目躍如たる数多の録音群の中でも相当の資金が投じられてのプロジェクトだったのだろう。それゆえに彼の責任も非常に大きい。精神的なプレッシャーもかなりのものだったと思われる。

ところが《トリスタンとイゾルデ》での緊張は、日に日に私を蝕み始めた。心も肉体もへとへとに疲れていたが、しばらくの間は、何とか平静を装うことができた。気を失うどころか、眩暈さえ一度も経験していないことが、かえってよくなかった。どんな感覚か、見当もつかなかったのだ。
9月28日、最後から一つ前の《トリスタンとイゾルデ》のセッションのときには、とてもやり通せる気がしなかった。誰かに気づかれるのが何よりも心配だったが、それは避けられたようだったので安心した。セッションが終わったとき、私はゴードンに医者を見つけてくれるように頼んだ。ただし、一つ条件をつけた。
—ただちに休養が必要だとか、休養をとるべきだなどと言う医者はいらない。過労についての説教は聞きたくない。欲しいのは、ひと晩眠れる注射をしてくれて、翌日をやり通せるようにしてくれる医者、ただそれだけだ。

~同上書P354

壮絶なエピソードだ。たかがレコーディングと侮ることなかれ。
彼の命を縮めたのは(55歳没)、間違いなくこういった現場がおそらく頻繁に重なった結果だろうと想像する(仕事の虫だった本人は本望だろうけれど)。

・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ビルギット・ニルソン(イゾルデ、ソプラノ)
フリッツ・ウール(トリスタン、テノール)
レジーナ・レズニック(ブランゲーネ、メゾソプラノ)
トム・クラウゼ(クルヴェナール、バリトン)
アルノルト・ヴァン・ミル(マルケ王、バス)
エルンスト・コツープ(メーロト、テノール)
ペーター・クラウン(牧童、テノール)
ヴァルデマール・クメント(水夫、テノール)
テオドール・キルシュビヒラー(舵手、バリトン)
ウィーン楽友協会合唱団(合唱指揮:ラインホルト・シュミット)
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1960.9録音)

引いては寄せ、寄せては引く官能の音の洪水に、第1幕前奏曲から終幕「愛の死」まで息つく暇なく感無量。レコーディング・マジックとはこういうことをいうのだと思う。ニルソンのイゾルデは絶品。心配されたウールのトリスタンも好感が持てる。

ところで、ビルギット・ニルソンの回想には次のようにある。

私はナイーブにも、プロデューサーはみなウォルター・レッグのように権限のある人だと信じていた。ところがそれは大いなる勘違いだった! ジョン・カルショーはこの分野ではほとんど新米のようで、オドオドと恥ずかしげで、いつも意味不明の笑みを唇に浮かべ、「本当によかった」と、これが彼からようやく出てくる唯一のコメントだった。イゾルデへのコメントが「本当によかった」とは、一体何を言おうとしているのだろう? 私は心から、ウォルター・レッグがいてくれたらと思った。
ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P420

カルショーの完璧を目指す職人ぶりが一人の歌手の回想からも如実に伺える。ニルソンは続いてショルティについても次のように書く。

ゲオルク・ショルティは、録音では、波を砕かせる岩のようだった。むら気な態度は取らず、決して余力を残さず、他人に多くを求めるが、自分自身にはもっと厳しい。彼のもとで歌うのを嫌がる歌手もいたが、私は彼との仕事が大好きだった。学ぶべきものさえあれば、たとえ生徒のように扱われてもかまわなかった。
ただ、ショルティとウィーン・フィルハーモニーとの共演はトラブル続きで、水と油のような2つの異なるエレメントは、時に爆発に至ることもあった。

~同上書P420-421

相対するものがぶつかりながら昇華され、結晶として残ったものの価値は貴い。
トリスタンとイゾルデが媚薬により恋に落ちる瞬間を描く第2幕が(録音の効果も相まって)絶美だろう。

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ニルソン ホフマン クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」(抜粋)(1959.9録音) | アレグロ・コン・ブリオ

[…] あるいはゲオルグ・ショルティの場合は、ジョン・カルショーの思惑も手伝ってか音楽の浮沈、そして徐々に高揚させ、一気にオーガズムに駆け上がる構成が実に物語的で聴く者の心を […]

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