
朴訥で渋いピアノの音色。
枯淡の境地といわれるが、渦巻く激情の片鱗が垣間見える。
老境にありながら枯れ切っているわけではない、いまだ若き日の官能の念を忘れられない諦めの悪さといったら語弊があるだろうか。晩年のヨハネスは自由にならない自身の身体にもどかしさを感じていたのかもしれない。日に日に衰える身体はもとより、消沈して行く精神の黄昏に彼は何を思ったのか。
何と浪漫豊かな小品たちよ。
音楽は悦びに溢れ、ときに哀しみを湛え、孤独の心境を歌う。
72歳のヴィルヘルム・バックハウスはこれらの作品に何を思い、何を感じてピアノに向かうのか。ただひたすらに一点に集中し、内から漲る力に僕は驚きを隠せない。おそらくそれは慈悲の心だ、輝きだ。人にある慈しみは真に枯れることがないのだと思う。
囁くように弾かれる優しい作品117-1が何と心に染み入るのだろう。
もちろん40余年前に初めて耳にしたときから惹かれる作品118-2は、今も僕の心をとらえて離さない。この美しい音楽にはもっと濃厚で美しい演奏は確かにある。しかし、刷り込みという現象は横に置くとしてそれでもシンプルな、無心の言い回しに僕は感銘を受けるのだ。あるいは作品79-1のラプソディのほとばしる情念にも(中間部の哀感が殊更にパッションを奮い立たせる)初めて聴いたときから僕はずっと惹かれている。録音から65年以上を経ても人々の深層に染みわたるこのピアニズムは僕にとって特別なものだ。
冷たい雨が降ってきた。
こんな夜にはブラームスが似合う。