ムラヴィンスキーの第3番については、ボグダーノフ=ベレゾフスキーが自著でこう指摘している「そこで解釈の中心テーマになっているのは超人的なヒロイズムではなく、人間の自然な本質としてのヒロイズムである」。
~ヴィターリー・フォミーン著/河島みどり監訳「評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー」(音楽之友社)P136
見事な評だ。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭2つの激烈な和音の響きから思わず度肝を抜かれる、畏怖の念を禁じ得ない演奏。猛烈なスピードで、筋肉質の引き締まった音楽は進行し、楽章が進むごとにより一層の集中力を魅せ、終楽章アレグロ・モルトに至って、ついに官能と解放の絶頂に至る。凄まじいエネルギーは、古い録音からも十分に伝わってくる。
そして、伝説の来日公演でも名演奏を繰り広げたワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」からの諸曲の、強烈な風圧を感じさせる金管群の猛々しい咆哮は、ムラヴィンスキーによってあえて楽劇(物語)そのものから切り離され、純粋器楽曲としての性格を露わにされる。鋭利な刃物のような鋭さと鈍器のような重みを兼ね備えた、一聴打ちのめされるワーグナー。自然と一体となる「森のささやき」、(死どころか)まるでジークフリートの再生を思わせる「葬送行進曲」の生命力、あるいは、十八番の「ワルキューレの騎行」の激性!!
超自然的な存在に忠誠を誓うワーグナーの音楽が、ムラヴィンスキーの指揮では表現が極限まで普遍化され、個々のイメージはある一定の気分や観念のシンボルとなり、演奏のヴィジョンは驚くほど拡大される。
~同上書P140
しかし僕には拡大よりも収斂を、(少なくともこの録音においては)見事な集中力による極小の世界が展開されるように思われる。モスクワ音楽院大ホールにおける実況録音。終演後の拍手喝采の熱いこと。