
ナルシソ・イエペスのギターの音色は美しい。
何よりもギターを愛するイエペスの音には確信がある。そして、優しい。
音楽の暗記は、暗記の中でも特別なものです。ここには「耳の記憶」「指の記憶」そして「内的感性の記憶」が一体になっていなければならない。ところが多くの人びとは、暗譜して最初にひくとき、ひきながら「ここで楽譜をめくる」ということを思うでしょう。これでは彼らの記憶というものは「耳の記憶」でも「指の記憶」でもなく、ましてや「内的感性の記憶」ではない。それはたんに「眼の記憶」にすぎません。そうでしょう? つまり「ここでページをめくる」などと思わなくなる日がくれば、そこではじめて「耳の記憶」、そして「内的感性の記憶」をあるていど得たことになる。さらに、自分でもわれ知らず指が動いてしかるべき箇所へ行くようになれば、そこで「指の記憶」を得たことになる。この指がもはや、ほかの誤った箇所へ行かないようになり、しかも奏者がそれを自分で確かめ吟味することができれば、「内的感性の記憶」はもはや完成され、奏者は自分の内部にその楽曲をしっかりつかんだことになる。「内的感性の記憶」のうちに楽曲がしっかりとらえられて、そこではじめて人を納得させる演奏が可能になるのです。
(1975年3月10日、帝国ホテルでのインタビュー)
~濱田滋郎の本「ギターとスペイン音楽への道」(現代ギター社)P21-22
音楽をし、音楽に奉仕することとは、まさに「無心、無我、無為」の境地にあることをいうのだと思った。確かにイエペスの弾くバッハには企図がない。もちろん彼を一躍時の人にした「愛のロマンス」においてもだ。
彼のバッハには哀愁がある。
果たしてそれがバッハの解釈に相応しいものなのかどうかはわからない。しかし、聴く者の心をつんざく郷愁がそこには感じられるのだ。
先のイエペスの言葉通り、彼の奏する音楽に共通するものは「自然体」だ。ケーテン時代のバッハの内なる苦悩も反映されているのだろうか、組曲ホ短調BWV996の寂寥感は並みでない。あるいは、組曲ハ短調BWV997の、悲しみの中に映る生への希望と喜び。
音楽は呼吸する。森羅万象すべての投影が音楽の神髄であるとするなら、バッハの音楽はあらゆる音楽の頂点に立つものの一つだ。たった一挺のギターによって奏される音楽の、シンプルさの中にある奥深さ、奥床しさに僕は内心歓喜する。