マイスキー J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全集(1984.10-1985.3録音)

オブリガート・クラヴィーア付のソナタの明確な表現の世界からこちらに目を移すと、表現の奥行きの深さ、一種幻想的なたたずまいに、強い印象を受けずにはいられないだろう。バッハはここで、ソロ楽器を単なる旋律演奏のために使っているのではない。そうではなく、彼はソロ楽器を用いながらも、多声的なポリフォニーをそこに実現しようとしているのである。だが、いくら弦楽器に重音奏法が可能であるとはいっても、一つの楽器でたとえば完全なフーガの再現が可能であるはずはないから、必然的に音楽は、いくつかの声部の対立をひとつの流れの中に組みこんだものとなる。水平な画面の中に遠近法を用いて立体感を出す効果に、それは似ているといえようか。したがって、ソロ演奏の中にポリフォニーを聴きとることは、聴き手の想像力の働きにゆだねられる。音楽の奥行きが、深く感じられるゆえんである。
礒山雅「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」(東京書籍)P107-108

たった一挺のチェロが奏する時間の魔法。
シンプルな中に存在する永遠は、時間と空間を超えて僕たちの魂にまで影響を及ぼす。

ミッシャ・マイスキーが最初に録音したバッハの無伴奏チェロ組曲全集は、無心、無我、無為の境地を示してくれる。余計な自我がそこにはなく、ただひたすらバッハの残した楽譜を頼りに、美しい音楽を表明することだけを念頭においたであろう名演奏だ。一方、彼が15年後に録音したものは、少なくとも僕にとってはマイスキーの挑戦的な思念が入り込んだ攻撃的過ぎる演奏だ。

音楽は自然体であるのが一番。奇を衒う必要もなければ、独自の解釈を込める必要もない。ただあるがままにあれば良いのだと思う。ちなみに、手元にあるのはかれこれ40年近く前に手に入れた西ドイツプレスの初出輸入盤(何と3枚組!)。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲
・第1番ト長調BWV1007
・第2番ニ短調BWV1008
・第3番ハ長調BWV1009
・第4番変ホ長調BWV1010
・第5番ハ短調BWV1011
・第6番ニ長調BWV1012
ミッシャ・マイスキー(チェロ)(1984.10, 11 &1985.1, 3録音)

第1番ト長調BWV1007の安らぎ。それだけで十分だといえるほど完璧な音楽。バッハの天才を思う。1990年の来日時、津田ホールで聴いたマイスキーのバッハを僕は忘れない。演奏途中、突如弦が切れ、張り直しのため中座し、再びステージに現れ、あらためて弾き直したというハプニングも今となっては良い思い出だ。

1990年5月17日(木)19時開演
津田ホール
・ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007
・ブリテン:無伴奏チェロ組曲第1番作品72
・ヒンデミット:無伴奏チェロ・ソナタ作品25-3
・ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011
ミッシャ・マイスキー(チェロ)

僕の記憶では、バッハの無伴奏組曲だけのプログラムだったはずだが、久しぶりにパンフレットを見返すと、何とブリテンやヒンデミットも演奏していたではないか!(ひょっとすると演奏者の希望でオール・バッハに変更されたとも考えたが、そんなはずはないだろう。たぶん僕の記憶違いだ)

久しぶりに音盤を全曲耳にし、思ったこと。
第5番ハ短調BWV1011の人間業とは思えぬ巨大さ、そして、そこにあらゆる感情を吹き込んだマイスキーの解釈の鷹揚さ、または慟哭。後の番号になるほど音楽は驚くほど深化するが、第6番ニ長調BWV1012に至って、ついにバッハは人智を超えた神の如くの存在となる。有名なガヴォットが弾け、唸る(奏者の呼吸までもが明確に聴きとれる録音の鮮明さに僕は感動した)。

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