ピアース バンプトン モスコーナ ヤンセン ベラルスキー トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」作品72(1944.12Live)

歌劇「レオノーレ」の初演失敗は、運の悪さが重なったことだそうだ。
運も実力の内というが、「レオノーレ」が成功していれば改訂「フィデリオ」はなかったわけで、あるいは、両方の作品を後世は比較して味わうことができなかったわけで、そういう観点からみると、ベートーヴェンは運が良かったのだといえなくもない。(否、それは後世の僕たちがか?)

(ナポレオン軍の)占領が始まった直後に上演を予定通りに強行という判断の悪さが決定的である。上演許可申請がいったん却下されたことで順延となり、予定日が占領直後にずれ込んだという運の悪さ。入りは最悪で、観客もドイツ語を解さないフランス将校たちであった。こうした分析は、11月2日以降、月内のオペラ上演がベートーヴェン作以外は14日と24日だけという指摘を別にすれば、これまでも多かれ少なかれ言われている。加えて着目すべきなのは、“神話オペラ”を拒否してシカネーダーと決別し、新監督ゾンライトナーとの協働が順調に運んだけれども、シカネーダーが再登場して“魔法オペラ・神話オペラ路線”が復活し、その上、対仏戦争の勃発で反フランスの空気に包まれたヴィーンには”フランス・オペラ翻案物“は成功しない土壌が形成されていたことである。後世は初演失敗の原因をナポレオン軍のヴィーン占領の影響に絞っていないだろうか。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P244-245

世間の景気や情勢や、人間というもの誰であれ環境の影響は大いに受ける。
そして、失敗・酷評からまもなく、ベートーヴェンは改訂稿を生み出す。しかし、この第2稿も好意的に受け入れられたものの残念ながら世事に埋もれてしまった。
ナポレオンに対抗し、オーストリア皇帝とも名乗るフランツ2世が1806年8月6日に神聖ローマ帝国皇帝を正式に退位したからである。これによって神聖ローマ帝国は一千年に及ぶ歴史を閉じた。

ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ ベートーヴェン 歌劇「レオノーレ」(1805年第1稿)(2017.11.7録音) 歌劇「レオノーレ」第1稿を・・・ 歌劇「レオノーレ」第1稿を・・・

神聖ローマ帝国の崩壊はヴィーン社会に決定的であった。
《レオノーレ》を自ら取り下げたベートーヴェンはその後、アン・デア・ヴィーン劇場との関係の修復に努めようとするが、劇場自体が立ち行かなくなる。

~同上書P247

歌劇「レオノーレ」(1806年版)を聴いて思ふ 歌劇「レオノーレ」(1806年版)を聴いて思ふ

そして10年近くを経て、より抜本的な台本と音楽双方の改訂作業が進められ、ついに歌劇「フィデリオ」として生まれ変わったオペラはようやく大成功を収める。そのきっかけになったのはやはりナポレオン軍の敗北だった。

1813年10月16~18日の“ライプツィヒの戦い”はナポレオン敗北の分水嶺であった。
~同上書P254

ベートーヴェンは4連続コンサートの終了を待たず、宮廷劇場詩人トライチュケに台本の改訂を依頼し、再改訂に乗り出した。そして《レオノーレ》は《フィデリオ》となって、1914年5月23日にケルンテン門劇場で初演を迎える。2日目の26日の上演から、舞台はもうひとつの宮廷劇場であるブルク劇場に移された。・・・
《フィデリオ》はその後、翌年末まで32回の公演を重ねていく。9月末から開催されているヴィーン会議期間中には、各国の王侯貴族が観劇する機会も設けられた。その結果、ベートーヴェンのオペラ作曲家としての名声は全ヨーロッパ的に高まる。

~同上書P255

大崎さんによる200年前のドキュメントに僕は夢中になった。何とリアルな事実の掘り起こしか。現代社会にも通じる様々な身辺・環境要素が(偶然か必然か)絡み合ってのベートーヴェンの作品であり、また人生であることが理解できる。本当に面白い。

トスカニーニ指揮による戦時中のライヴ録音である歌劇「フィデリオ」を聴いた。

・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72
ジャン・ピアース(フロレスタン、テノール)
ローズ・バンプトン(レオノーレ、ソプラノ)
ニコラ・モスコーナ(ドン・フェルナンド、バス)
ヘルベルト・ヤンセン(ドン・ピツァロ、バス)
シドール・ベラルスキー(ロッコ、バス)
エリナー・スティーバー(マルツェリーネ、ソプラノ)
ジョセフ・レイドルート(ヤキーノ、テノール)
NBC交響合唱団(ピーター・ウィロウスキー合唱指揮)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1944.12.10, 17&1945.6.14Live)

この頃のトスカニーニの演奏は、いずれもが第二次大戦の連合国軍の勝利の前哨戦の如くの気概に満ち、飛び切りの推進力でもって紡がれる。そこには巨匠が嫌ったファシズムやナチズムの崩壊への歓喜が間違いなく刷り込まれており、音楽を聴く公衆と一体になって湧き上がる愉悦を分かち合っていることがわかる。
130年前の、それこそナポレオンが敗北し、ウィーンから撤退したあのときの国民の歓喜を髣髴とする(時空を超えた立体的な)祝福の「フィデリオ」なのだ。

「レオノーレ」初稿、そして第2稿、さらには「フィデリオ」と、一粒で3度の美味しさを堪能できる現代に生きる僕たちは結果幸せだ。

ユリナッチ ピアース シュターダー ディッキー ナイトリンガー エルンスター クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管 ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」(1961.12録音) シュテンメ カウフマン シュトルックマン マッテイ アバド指揮マーラー室内管/ルツェルン祝祭管 ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」(2010.8Live) プライ クラウゼ マクラッケン ニルソン マゼール指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」(1964.3録音) キング ジョーンズ ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」(1969.3録音) カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場の「フィデリオ」(1957.7.27Live)を聴いて思ふ カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場の「フィデリオ」(1957.7.27Live)を聴いて思ふ バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1978.2録音)ほかを聴いて思ふ バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1978.2録音)ほかを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ 朝比奈隆指揮新日本フィルのベートーヴェン「フィデリオ」抜粋(1994.11&12Live)を聴いて思ふ 朝比奈隆指揮新日本フィルのベートーヴェン「フィデリオ」抜粋(1994.11&12Live)を聴いて思ふ マタチッチ指揮フランクフルト市立劇場管の歌劇「フィデリオ」(抜粋)(1959録音)を聴いて思ふ マタチッチ指揮フランクフルト市立劇場管の歌劇「フィデリオ」(抜粋)(1959録音)を聴いて思ふ フルトヴェングラーの「フィデリオ」(1953年盤)を聴きながら・・・ フルトヴェングラーの「フィデリオ」(1953年盤)を聴きながら・・・ 灼熱の「フィデリオ」! 灼熱の「フィデリオ」! 4手ピアノによる「フィデリオ」 4手ピアノによる「フィデリオ」

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