ドキュメントの熱気。煌びやかな音像からは、待ちに待った聴衆の期待と興奮までもが聴きとれる。実況とはなんと不思議なものだろう。
ウラディーミル・ホロヴィッツが初来日を遂げたのは、僕が上京して間もない頃だった。その前年、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の成婚記念か何かでロンドンでの老巨匠のリサイタルの模様が中継され、固唾を飲んで演奏を聴き、感動していた僕は、(ある意味)実演に触れ得る機会をいただいたのだが、確か5万円だったかの吃驚するような入場料に手も足も出ず、テレビで大人しく鑑賞することにしたのだった(当然だけれど)。
果たしてホロヴィッツの演奏はどうだったのか?
いくつかのメディアでも随分とり上げられていたけれど、吉田秀和さんの「ひびの入った骨董」という表現に、僕は行かなくて(行けなくて?)良かったのかもとほっと胸を撫で下ろしたことを今でもはっきりと思い出す。
重みとは何か。今のホロヴィッツには過去の伝説の主の姿は、ごく一部しか、認められなかったという事実のそれである。私としては、彼の来日を可能にした人たちや、全演奏会を翌日一挙に放映したNHKの労を大いに多とする。しかし、結論的にいえば、この人にはもっともっと早く来てほしかった。
私は人間をものにたとえるのは、インヒューマンなので好きではない。しかし、今はほかに言いようがないので使わせて頂くが、今私たちの目の前にいるのは、骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上、その価値は、つきつめたところ、人の好みによるほかない。ある人は万金を投じても悔いないかもしれないし、ある人は一顧だに値しないと思うかもしれない。それはそれでいい。
だが、残念ながら、私はもう一つつけ加えなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は—最も控え目にいっても—ひびが入ってる。それも一つや二つのひびではない。
(1983年6月17日「ホロヴィッツを聴いて」)
~吉田秀和「神の選んだ音楽—音楽展望3—」(講談社)P134
「最も控え目にいっても、ひびが入っている」という言葉に僕は衝撃を受けた。朝日新聞の書評で、吉田さんは忌憚のない、しかし実に的を射た論を書かれている。確かに「もっともっと早く来日してほしかった」とたくさんの人が思ったに違いない。
せめて、第1回のTV放送のあったころ、できれば、その前、長い沈黙のあとカムバックして間もないころ来ていたら、私たちにも、全盛時代の幾分かが伝わってきたろうに。
~同上書P136
遅すぎた初来日に無念の思いが文章の箇所ゝゝに込められる。一方で、3年後に再来日した時の印象は多少変化していたようで、吉田さんは今度は次のように書かれていた。
3年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が、その演奏は私たちの期待を満たすにはほど遠く、苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼はひとりのピアノをひく人間として来た。彼は前よりまた少し年老いて見えた。
が、その彼は何たるピアノひきだったろう!!
音楽が人生と同じ広さと高さを持ちうるとしたら、このピアニストが今も完全に手中にしているのはその一角にすぎない。だが、それは最も精妙な宝玉の見出される一角である。
(1986年7月3日「ピアニスト・ホロヴィッツ」)
~「吉田秀和全集20 音楽の時間II」(白水社)P420
明らかに力量のすべては発揮できていないとはいえ、宝玉の一端が見て取れ、そこに吉田さんは最高の賛辞を送られている。そして、こう付け加えるのだ。
これは今の彼の限界である。だが、どんな人間も限界は逃れ得ず、また芸術の完成を支えるのも限界が存在するからである。今の彼を大家と呼ぶとすれば、それは小品の演奏で偉大だからである。
~同上書P423
この際何でも良いのだ。キャリアの片鱗が垣間見え、そして聴衆が感動するならば「大家」として相応しい。
いずれにせよ、この人は今も比類のない鍵盤上の魔術師であると共に、この概念そのものがどんなに深く19世紀的なものかということと、当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない。2日目、聴衆の大歓呼の中で突然どこかで鋭い騒音がした途端、彼は大急ぎで両耳を塞ぎ背中を向けた。それをみて、私は彼がどんなに傷つき易く安定を失いやすい精神と神経の持ち主かようくわかった。それだけにまた、この人が先年の不調を自分でもはっきり認めて、何とかして自分の真の姿の記憶を残しておきたいと考えて、遠路はるばる再訪してくれたことに、心から感謝せずにいられない。
~同上書P423-424
だからこそ吉田さんの、この論の最後の文章に(2度目の来日公演も聴けなかった)僕は当時感激した。
「長い沈黙のあとカムバック」したホロヴィッツのヒストリック・リターン・リサイタル。15年前の今日、僕はこのリサイタルの未編集音盤を聴き、ブログ記事を初めて綴った。
演奏そのものは活気に溢れ、長らく待った聴衆の期待に十分応えるものだと思う。
もちろん長いブランクのために生じたミスタッチなど不調がないわけではない。しかし、だからこその人間的でこれほどの温かみのあるコンサートがどれほどあろうか(ホロヴィッツ自身の緊張感までもが伝わるようだ)。プログラムの進行とともに音楽はいよいよ(乗りに乗った)アグレッシヴなものに変貌して行く。ホロヴィッツにとって同時代的な作品であるスクリャービンの諸曲に溢れる喜びよ。ドビュッシー以降はアンコール曲になるが、十八番の「トロイメライ」の格別な美しさよ。
これは、私の想像ではないと信じるが、この夜、はじめて楽屋の袖からステージに出てゆく時のホロヴィッツは、自分が屠殺場につれてゆかれる獣になったような気がしたに相違ない。できることなら、その場から一目散に家にひっかえし、毛布でも頭から被って、寝てしまいたかったことだろう。ステージに出てゆく時の彼は、まっさおな顔色で、足どりもあんまり確かではなかったことだろう。
~「吉田秀和全集6 ピアニストについて」(白水社)P82
ヒストリック・リターン・リサイタルについて吉田さんはそう書いた。それにしてもバッハ(ブゾーニ編曲)のアダージョ・パートの素晴らしさ。ここだけ聴くと、むしろステージに出てしまった後は聴衆の存在すら忘れ、むしろ音楽そのものに陶酔しているように思われてならない。フーガの解放よ。