ワルター指揮コロンビア響 モーツァルト 交響曲第41番K.551「ジュピター」(1960.2録音)ほか 

もし創造主が全能であったのなら、彼は悪や悩みをも創りだした、あるいはそれらに耐えたにちがいない。もし悪が神の意志に反して存在し作用するのであれば、神は全能ではありえない・・・こう人間は思い悩む。感情と悟性をえぐるこの震撼的な問い、神の全能か神の慈悲か、いずれかに対する疑い、哲学も横道にそれないかぎり口をつぐむか、あるいは、多かれ少なかれ口をついてでた幻滅的な「われら知ることなからん」によって片づけるこれらの問いと疑いは、長い年月にわたって再三私の胸にも湧きおこった。それでこんな話にふれたわけだが、いまは深くたちいる場合ではない。ただ、成熟するにつれて、こうした問題設定を邪道と考え、《無限者との調和》に至る別な道を求めるようになったことだけは、申しそえておきたい。これはキリスト教の教えに示唆されたことで、私の心はしだいにキリスト教と、密接に結びついていったのである。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P32-33

少年時代の体験にまつわる「神の是非」の問題、おそらく彼の問いは一生続いたのだろうと思う。決して答えの出ない、生と死にまつわる永遠の問いには、今や(当時は知られることのなかった)絶対的答えが用意されているのだけれど。

一切の無駄のない完璧なフォルム。
純粋無垢な輝きの内側には、透明な、中庸と調和の真空が存在る。音楽そのものに付加されるのは、強いて言うなら指揮者の慈愛だ。

モーツァルトの音楽には、その美と完全さ、その高貴な快活さと純粋さの中に、天使のような世界がひらけている。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)

何て心のこもった表現なのだろう。
ワルターの奏でるモーツァルトほど人間味豊かな、温かいものはない。

モーツァルト:
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」(1960.2.28 &29録音)
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1960.2.20 &23録音)
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1959.12.2録音)
・交響曲第40番ト短調K.550(1959.1.13 &16録音)
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1960.2.25, 26 &28録音)
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1959.1.13, 16, 19 &21録音)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

長年の愛聴盤。黎明期に購入した国内盤セットの音に比較して、最新のコンプリート・セットの音は音像自体が立体的、かつ分離良く、まるで目の前でワルターが指揮しているかのように、老巨匠の息遣いすらも明瞭に聞こえるという優れもの。演奏そのものについてはもはや僕に書くことはない。最高のモーツァルトがここにはある。

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