Queen “A Night at the Opera” (1975)

ここのところオペラを聴くことに凝っている。観るのではなく、あえて聴くことに。
聴くことは想像力を刺激する。昨今は演出の是非も取り沙汰されるけれど、視覚情報を気にする煩わしさがないのが良い。

オペラを見ていると、実に色々な声が出てくる。そして美しい旋律や、生き生きしたリズムに乗って、ある時は悲しく、ある時は喜ばしく、歌を繰り広げてくれる。
聴いていると、先ず磨きぬかれた声というものがあって、楽譜から歌をよみがえらせているようでもあり、反対に声に翼を与えるために歌が存在しているようにも見える。いずれにしても歌と声との関係は、土と花のようなもので、両者の性質が適合しない限り、立派な花は咲かない。

(三善清達「声とオペラの登場人物」)
音楽之友社編「オペラ—その華麗なる美の饗宴」P88

オペラはそもそも歌と声の芸術なのである。
イタリア・オペラとドイツ・オペラ、さらにはロシア・オペラ、フランス・オペラとお国物の作品はそれぞれに特長がある。もちろん地域性だけでなく、時代の影響もそれぞれにある。しかも、爾来神話に始まり日常のドラマまであらゆる物語が台本化され、そこに腕を競うように音楽が付される様は見事としか言いようがない。とにかくものにするのに相応の時間と根気が必要で、そのこと自体が面白いのだ。

少々変化球を投げてみよう。
クイーンの傑作の一つに「オペラ座の夜」というアルバムがある。録音から半世紀近くを経た今も世界に燦然と輝く逸品だ。

「オペラ座の夜」のレコーディングは75年7月から11月にかけて、ロンドン市内の6つのスタジオを使って行なわれた。そのハイライトは、最初は3つの独立した曲として存在していたヴァースをつなぎ合わせ、180回に及ぶオーヴァーダビングのすえに3週間かけて完成された「ボヘミアン・ラプソディ」である。6分に及ばんとする大曲に絶大な自信を持ちながらもシングル・カットは躊躇していたというメンバーに、「ゴー」を出したのは新マネージャーのジョン・リードだったという。
(和久井光司「4人の個性的な音が織りなした空前絶後のハーモニー」)
レコード・コレクターズ増刊「クイーン・アルティミット・ガイド」P23

「ボヘミアン・ラプソディ」ばかりがあまりに有名だが、「オペラ座の夜」はあらゆるスタイルを持ち込んでいながら見事な統一感と集中力を見せるコンセプト・アルバムとしてロック史上右に出るものがない、まさに歌と声の芸術であるオペラをロック音楽に持ち込んだ会心作!
楽曲のほとんどのリード・ヴォーカルはフレディによるものだが、ブライアンやロジャー、そしてジョンも自身の作品のリードをとる。ビートルズ同様、メンバー皆が歌えるバンドとしてクイーンは実に魅力的なバンドだと思う(その意味で、個人的にはジョン作の”My Best Friend”やブライアン作の”’39”は僕好み)。

・Queen:A Night at the Opera (1975)

Personnel
Freddie Mercury (lead vocals, backing vocals, piano, jangle piano)
Brian May (electric guitar, backing vocals, acoustic guitar, lead vocals, koto, harp, ukulele)
Roger Taylor (drums, backing vocals, percussion, lead vocals, additional electric guitar)
John Deacon (bass guitar, electric piano, double bass)

そもそも60年代から70年代にかけてのロック・ムーヴメントはメディア、あるいはお金など、巨大な「モノ」が動くビジネスの側面が強く、その反動で相当の歪みも生んだそうだから、僕たちが知らない裏では吃驚するようなことも起こっていたと聞く。

ニューヨークのゲイ・シーンから生まれた、ヴィレッジ・ピープルは、典型的なマッチョ・タイプのゲイの世界をあからさまに歌ったばかりか、フィスト・ファッキングやSMプレイまでコミック仕立てにして、ステージに持ち込んだ。(リード・シンガーのフレディ・マーキュリーが認めているように、ゲイを意識してグループ名を決めた)クイーンのステージも、(少なくともマーキュリーは)ゲイ的色彩が強すぎたために、評価は賛否、両極端に分かれた。
性の解放といっても、女性の側から見れば、男の快楽主義の対象が広がっただけだった。

ゲーリー・ハーマン著/中江昌彦訳「ロックンロール・バビロン」(白夜書房)P81

個性が渦巻くドロドロとした俗世界にあって、視覚を伴なわない音盤によって世界的評価を得たクイーンの、フレディの音楽性は本物だったのだと思う。何より古来オペラそのものが決して神聖なるものではなく、実に人間的な、身近で俗っぽいものであったこと、そして今もそうであることを忘れてはなるまい。

歌と声の完璧な合一、少なくとも初期のクイーンの作品にはそれがある。

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