ヒュッシュ ミュラー シューベルト 歌曲集「冬の旅」D911(1933録音)

蒸し暑い夏の夜半にシューベルトの連作歌曲集「冬の旅」。
陽気溢れる今の時期ゆえに余計に感じられる夜の陰気。陰陽相対の世界が生み出す熱気の影響は大自然の生きとし生けるものすべてにあろう。ミュラーの詩はことごとく僕たちの心底の眼を背けたくなるところに碇を降ろす。

吉田秀和最後のエッセイにして畢生の歌曲讃美。その最後は(かつての中学、高校の同級生たちに捧げられた)シューベルトの「菩提樹」で締め括られている。吉田さんのこの曲との出逢いは、きれいな声を持つ高校の同級生による歌だったそうだ。

そんなふうにして、二人で遊んでいるような勉強しているような時を送っているうち、ある日、彼がシューベルトの《菩提樹Der Lindenbaum》の歌を持ち帰ってきて、私の前で歌ってみせた。「きれいだろう? 歌っていても、とても気持が良いんだ。それに、これは二声でも三声でも歌えるのだから、おれについて、下の方を歌ってみろよ。いや、お前が上のふしを歌ったら、おれが下をつけてやる」と彼はいった。いつもより大分興奮した調子で。
吉田秀和「永遠の故郷―夕映」(集英社)P172

何十年も昔の、こういう鮮明な記憶こそがまさに彼の源泉であり、吉田秀和という大家を生み出した因なのだろうと僕は思った。過去心、現在心、未来心に執らわれることは難だけれど、こういう朗らかな、懐古的なエピソードならむしろ元気のもとだ。

この暗くもめげてしまうような歌曲集に対して吉田さんは次のように言う。7曲の長調歌曲に対して短調作品がほとんどを占める中、第5曲「菩提樹」の、砂漠の中のオアシスの如くの安らぎ。

その中で、長調で始まり、短調の嵐にぶつかっても、それを克服して再び長調で結ばれるもの。《菩提樹》はそういう曲である。
これは歌曲集《冬の旅》の中で、ニ短調ではじまり、以下つぎつぎと短調の歌ばかり続いたあと、第5曲目になって、はじめて出てくる長調の歌である。それも仄暗く、生暖かく、そこの深い、肉感的な肌ざわりと魅惑に満ちたホ長調の曲である。
母親の懐への郷愁を唆る曲という人もいるかもしれない。

~同上書P175

何とうまいことをおっしゃる。
遠く戦前の学生時代に思いを馳せ、「菩提樹」にかこつけて心情を吐露する老匠の技に感嘆すると共に、「母親の懐への郷愁」とは吉田さん自身の感じるところだったのだろうとふと思う。

戦前の名盤を。

・シューベルト:連作歌曲集「冬の旅」D911(ヴィルヘルム・ミュラー詩)
ゲルハルト・ヒュッシュ(バリトン)
ハンス・ウド・ミュラー(ピアノ)(1933.4, 8&9録音)
・シューベルト:おやすみ(1952録音)
ゲルハルト・ヒュッシュ(バリトン)
マンフレート・グルリット(ピアノ)

第1曲「おやすみ」の安寧。33歳のヒュッシュの声は実に若々しく、生気に満ちる。
第5曲「菩提樹」の優しさにも感涙。しかし、最良は、第20曲「道標」以降終曲「ライアーマン」に至る旅人の儚い悲哀からの静かなる解放の念か。

「冬の旅」24曲は「美しき水車小屋の乙女」以上に歌も優れているが、これを歌っているヒュッシュの出来栄は更に素晴らしい。この歌はシューベルトの死の暗示であったと言われる極めて陰惨なものであるが、ヒュッシュの演奏はリードの約束に厳格に相応したものでありながら、しかもその表現は限りなく深々として、身につまされる美しさを持っている。
あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P126

なお、当時のSP盤の収録時間の関係から第1曲「おやすみ」は2番の歌詞が省略されているが、1952年の来日の際にNHKによって録音されたカットなしの「おやすみ」が追加収録されている(良く言えば円熟の歌だけれど、やはり33年収録の若々しくも瑞々しい「おやすみ」が僕の好み)。

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