フランチェスカッティ ワルター指揮コロンビア響 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(1961.1録音)

1806年夏、ナポレオン軍占領下のウィーンから疎開するリヒノフスキー侯にお供をし、シレジアのトロッパウ(現オパヴァ)を訪問していたベートーヴェンは、とある事件をきっかけに早々とひとりウィーンに引き上げたという。

ナポレオン軍の主力は北部戦線にあって(“ドイツ・ポーランド戦役”)、10月13日のプロイセン王子の戦死に続き、10月26日にベルリンが陥落する。オーストリアは占領下にあって第三次対仏同盟から脱落したため、少数部隊による監視だけとなっていた。その分、ヴィーンを離れて各地の所領地に疎開する貴族たちの動きを把握するため、フランス軍将校が見回っていた。10月末にリヒノフスキー侯の居城を訪問した彼らを侯は客人としてもてなし、そしてベートーヴェンに演奏を命じた。しかし楽師扱いされたベートーヴェンは怒り、雨中、鞄を抱えて飛び出し、近くの町まで徒歩で、そして馬車でひとりヴィーンに戻った。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P222

怒りの原因が「楽師扱い」であったかどうかはわからない。
ベートーヴェンがたったそれだけで怒り心頭となるほどプライドが高かったとは思えないからだ(おそらく数ヶ月、侯の居城で過ごす中で溜まりに溜まったストレスがこの一件で爆発したものと思われる。現代の車で4時間近くの距離ゆえ当時の馬車だとまる一日か、あるいは2日はかかったのではないだろうか)。

最後に、ヴィーン帰還直後に着手されたヴァイオリン・コンチェルトOp.61のフルート1本編成について言及しなければならない。これはアン・デア・ヴィーン劇場オーケストラ監督フランツ・クレメントの委嘱で、彼が主催する1806年12月23日の慈善コンサートのために、急遽、一気に作曲された。まさに、シンフォニー第4番の仕上げ、スコア譜に落とし込むのと並行してである。ヴァイオリン・コンチェルトにおいて中編成が選択されたのは、その作業との関連のほか、この時期までに連続して携わってきた2曲のコンチェルトの延長として、自然なことであったのではないだろうか。
~同上書P226

特別意図せず、自然な流れの中で選択された意志。
怒れるベートーヴェンではなく、優美で柔和なベートーヴェンの母性的な側面が強調された作品たちの美しさ。

・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1961.1.23&26録音)

ワルター最晩年の慈悲の光。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、遅めのテンポで始まる管弦楽提示部こそ(身体のいうことが徐々に利かなくなりつつある)当時のワルターの、心境含めた状態であったのだろうことがわかる。フランチェスカッティの独奏もワルターの心情と同期するかのように、黙々と智慧の発露のように輝かしい。カデンツァは、フリッツ・クライスラー作。思い入れたっぷりに歌うフランチェスカッティの妙なるヴァイオリンの音色が美しい。

第2楽章ラルゲットの清楚な、聖なる音楽こそベートーヴェンの慈愛の歌。ここでもワルターは丁寧に、そして湿潤たる香りを放つヴァイオリンに寄り添う。また、終楽章ロンド(アレグロ)は溌剌たる生命の喜びに溢れる希望の詩。ジノ・フランチェスカッティは大いに微笑む。

1961年の6月と7月になっても、ワルターは大作をスタジオ録音する計画を持っていたし—ブルックナーの交響曲第8番、マーラーの交響曲第4番と第5番—《フィデリオ》の件も、この年の終わりまでマックルーアとの文通で活発に検討されていた。ビングはワルターを翌年に、メトロポリタン・オペラでの《フィデリオ》上演と、当時は建設中だったリンカーン・センターのフィルハーモニックホールこけら落としでのヴェルディのレクエイムの指揮に招いてさえいた。ビングが最後に会った時、ワルターは至って健康そうに見えた。これなら、あと2年は指揮できるだろう?
しかしワルターは、持ち堪えられそうにないとわかっていた。12月、彼はマックルーアへの私信で、「発作」が多くなってきたと打ち明けている。


具合はよくありません。それに1957年にニューヨークであった心臓発作のことを思うと、この病気の徴候は深刻に取らなけ  ればなりません。これは狭心症の発作で、強い苦痛となる症状なので、少しの無理もきかず、ニトログリセンリンしか効きません。発作は不意に起こり、心身症に起因するようです。しかし原因が何であれ、このおかげで—体の面でも気持ちの上でも—指揮はできません。心臓の優秀な専門家に診てもらいましたが、もう自分でもわかっていたことをアドヴァイスされるだけでした。つまり、録音は延期しなければならないということです。
エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P573-574

気弱なワルターだが、計画されていた数多の録音予定の作品を見るにつけ、その時間がもはや巨匠に与えられなかったことが残念でならない。

オイストラフ クリュイタンス指揮フランス国立放送管 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(1958.11録音) ルービンシュタイン トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番(1944.10.29録音)ほか シェリング&イッセルシュテット指揮ロンドン響のベートーヴェン(1965.7録音)を聴いて思ふ レーン&フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン協奏曲(1944.1Live)を聴いて思ふ レーン&フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン協奏曲(1944.1Live)を聴いて思ふ シゲティ&ワルターのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲(1947.4.5録音)を聴いて思ふ シゲティ&ワルターのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲(1947.4.5録音)を聴いて思ふ シュナイダーハン独奏フルトヴェングラー&ベルリン・フィルのベートーヴェンほかを聴いて思ふ シュナイダーハン独奏フルトヴェングラー&ベルリン・フィルのベートーヴェンほかを聴いて思ふ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む