
私の伝記は、私が演ってきた音楽のなかにつづられているんです。音楽こそ、私が自分の芸術人生を表現できる唯一の方法なんですもの。それに、真価のほどはどうであれ、レコードが私の物語を刻んでくれているわ。
~ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P13-14
いかにも晩年のマリア・カラスらしい言葉だ。
本人の言う通り、彼女の遺した録音はすべてが不滅の金字塔だと言っても言い過ぎではない。出来不出来はもちろんある。しかし、それについてはこの際云々しないことにする。
本を書いてもらえるなんて、内心ではすばらしいことだと思っているし、実際にすばらしいことなんでしょうね。でも、私には過ぎることだと思うのです。本に書かれるというと、すごく偉そうな印象を与えてしまいますが、私は偉大な音楽を自分なりの解釈で演じる者にすぎません。現に、自分はなんて平凡なんだろうと思ったり、くよくよ悩んだりしています。それというのも、私はほとんど到達不可能といえるような基準をみずからに課しているからです。公演のたびに、聴衆は熱狂してくれるけれど、本人はもっとうまくやれたはずだと感じているのですから。
(マリア・カラスのステリオス・ガラトプーロス宛手紙)
~同上書P12
煩悩即菩提。晩年になってほとんど悟ったかのような境地(?)にあったであろうカラスの本心は、近しい友人だからこその正直さと優しさに満ちている。こと芸術にかけては常に完璧を期した孤高のディーバは実に孤独だったのだろうと思う。
実際カラスの歌は永遠だ。カラスの歌は力強い。しかし一方で、どんなアリアを歌っても寂寥感がどこかに垣間見えるのだ。
50年代のカラスの仕事ぶりは半端でない。多忙な中残された数多の「歌」は70年近くを経た今も僕たちの魂を癒してくれる。”the best of ROMANTIC CALLAS”と題された本コンピレーション・アルバムのいずれの歌唱も絶品だが、僕が惹かれて止まないのは、掉尾を飾るプレートル指揮パリ音楽院管とのサン=サーンス「サムソンとデリラ」からのアリア「あなたの声に心は開く」! サムソンの求愛に応えるデリラの融けるような愛の表情こそカラスの真骨頂。