「英雄」交響曲にまつわるリースの有名な書簡。
これは外観から言って、彼がこれまで書いた最大の作品です。ベートーヴェンは最近、私のために弾いてくれ、私は天地がその演奏で震えるに違いないと思います。彼はその曲をボナパルトに献呈することを熱心に望んでいますが、そうでないならば、ロプコヴィッツが半年それを所有して400グルデンを払いたいとしていますので、それは“ボナパルト”名づけられるでしょう。
(1803年10月22日付、書簡)
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P569
「天地が震える」ほどの、それまでにはなかった革新的交響曲は、もともとナポレオンに献呈することを意識して生み出されたものだ。しかし、彼が皇帝になることを宣言したのを聞いたとき、ベートーヴェンは激怒してその記載のある表紙を破り捨てたのだという。
私は、ボナパルトが自ら皇帝であると宣言したというニュースを彼にもたらした最初の人で、彼はそのことに激怒して、叫んだ。「彼もふつうの人間と変わりない! これからは彼もあらゆる人権を足で踏みにじり、自らの野望のとりことなっていくだろう。つまり彼はこれから自らを他のすべての人たちより高いところに位置させ、専制君主となるだろう!」
(ヴェーゲラー=リース「覚書」78ページ)
~同上書P558
さすがに弟たちに「德を積む」ことを啓蒙したベートーヴェンらしい逸話だ。
ピエール・モントゥーが晩年にDeccaに録音したベートーヴェン全集が素晴らしい。
最晩年に録音した「英雄」などもちろん最高の演奏だが、ウィーン・フィルと録れた「英雄」もまた最高の出来だと思う。
分厚い、19世紀浪漫的解釈ながら清澄な音調を保持し、軽快なテンポに僕は快哉を叫ぶ。
オーケストラの配置はストコフスキー型を採らず、ヴァイオリン両翼配置を守っていることが音響にこだわる老巨匠の慧眼だと思うが、何より当時としては珍しいであろう、第1楽章アレグロ・コン・ブリオのコーダにおけるテーマをスコア通りに演奏させている点が画期的。
慣習として行われている《英雄》第1楽章コーダに於けるテーマを、スコア通り、トランペット抜きの木管のみに演奏させているのも当時としては異例のこと。「ワインガルトナーよりベートーヴェンを信じるよ」と語っては楽員を笑わせた巨匠の面目躍如といったところ。
(福島章恭)
「ワインガルトナーよりベートーヴェンを信じる」という言葉が興味深い。
さすがに大交響曲の風格。第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭の2つの和音から実に刺激的。呈示部は何とも推進力豊かで指揮者も奏者も乗りに乗っているのがわかる(雄渾な音楽の隅から隅まで喜びに満ちている)。あるいは、颯爽と過行く第2楽章「葬送行進曲」にある思い入れたっぷりの思念。特に、トリオにおける壮絶な咆哮は涙なくして聴けぬもの。そして、第3楽章スケルツォの猛烈なうねりに感化され、終楽章アレグロ・モルトの勢いあまる主題呈示に老いても若々しいモントゥーの老練の棒を思う。
一方、第8番ヘ長調は第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ冒頭から優雅で開放的な響き。スケールはこじんまりとしながらも集中力は途切れず、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに生命力が収斂されて行く。モントゥーの読みと構成力に長ける名演奏だ。
ちなみに、第3番「英雄」はエリック・スミス、第8番はジョン・カルショーのプロデュースによるもの。オーケストラの音色はもちろん、会場の残響以外にもプロデューサーの違いによって音楽の質がこれほどまでに変わるのかと思うほど印象が違う。