あまりに早過ぎる死だったからなのか、オレグ・カガンの演奏を聴くと、どうにも感傷的になってしまう。リヒテルとの名演奏であるベートーヴェンのソナタも、気のせいか枯淡で老練の響きが感じられるが、それは僕だけなのだろうか。
「春」のソナタが俄然美しい。第1楽章アレグロからあの有名な主題が喜びに弾ける。その空気は終楽章の序奏たる第3楽章スケルツォから終楽章ロンドにも引き継がれるが、中でも第2楽章アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォに感じる未来永劫尽きることのない幸福感に僕は満たされる。ここではカガンはもちろんのことリヒテルも感化され、音楽に見事に浸り切り、聴衆にただならぬ光を届けるようだ。
ところで、嫉み深い悪魔である、私の悪しき健康状態が私の舞台に質の悪い石を投げてきた。すなわち、私の聴覚がここ3年来どんどん悪くなってきて・・・
(1801年6月29日付、ヴェーゲラー宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P122
耳疾に苦しみ始めた頃の音楽とは思えない優雅さ。
19世紀後半になって「春」という呼称を付された作品は、発表当時から人気を博したという。カガンのヴァイオリンが見事に歌う。
もし私の聴覚がダメでなければ、私はすでにもう世界半分を遍歴していたでしょう。
(1801年11月16日付、ヴェーゲラー宛)
~同上書P124
どこまでも弱気のベートーヴェンの告白は何とも切ない。しかし、同じ手紙には、ある女性を愛した心情も吐露されている。少なくともこの恋愛感情こそが創作意欲の火付け役になったのではなかろうかと想像ができる。
変化をある愛しい魅力的な少女がもたらしたのです。彼女を私は愛し、2年ぶりにいささかの至福の瞬間。結婚が幸福にするかもしれないと感じるのは初めて。
(1801年11月16日付、ヴェーゲラー宛)
~同上書P124-126
一方、作品23のソナタは挑戦的な第1楽章プレストの勢いある音調に心が動く。第2楽章アンダンテ・スケルツォーソ・ピウ・アレグレットは、ベートーヴェンの青春の甘い思い出か。あるいは、いかにも楽聖らしい終楽章アレグロ・モルトに感じる一抹の寂しさは、孤独なベートーヴェンの深層の情感なのかどうなのか。
何にせよカガンとリヒテルのデュオ(?)は、父子ほどの年齢差を超え、互いに切磋琢磨、どんな音楽をも喜びに変えるだけの力が漲る。