アンドレア・モリコーネ指揮東京フィル エンニオ・モリコーネ・オフィシャル・コンサート・セレブレーション

音楽を書くことは自分にとって仕事であり、好きなことでもあり、そして唯一自分ができることだ。悪癖と言ってもいいし、習慣とも言えるだろうけど、自分に必要なものでやりがいを感じるものなんだ。音に対する愛、音色、アイデアを形にできること、興味や好奇心を具体的なものとして作曲者が想像した作品に変えること。
エンニオ・モリコーネ/アレッサンドロ・デ・ローザ著 石田聖子/岡部源蔵訳 小沼純一解説「あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る」(フィルムアート社)P227

映画のための音楽であれ何であれ、良いものは良い。
少なくともモリコーネは、いわゆる「Want / Can /Must」を満たす天職を得た職業音楽家であったといえよう。

まあ仕事をすればするほどアイデアが浮かぶ。考え事をしているわたしを見て、妻がたまに「エンニオ、何を考えているの?」と訊いてくる。答えは「何も」だ。本当は心のなかでメロディとか自分や他の人のアイデアを口ずさんでいるんだけどね。仕事柄の癖みたいなものだと思う。
~同上書P228

彼の創造の源泉を知るとき、やはり選ばれし天才だったことがわかる。自分でも説明がつかないというのだから。

僕自身そもそも映画に疎いのと(あえて言うなら「ニュー・シネマ・パラダイス」以外は観たことがなかった)、ましてエンニオ・モリコーネについても熱心な聴き手でなかったので、果たして今日のコンサートが僕の心にどのように響くのか微妙な思いだった。しかし、とても良かった。ステージ演出は想像以上に素晴らしかったし、子息であるアンドレア・モリコーネの指揮はもちろん、何より東京フィルの真骨頂たる演奏に僕は心底感動した。

作品にまつわるエンニオや監督の貴重なインタビューなどが楽曲演奏前にスクリーンに投影され、彼の音楽の美しさ、意味深さが一層理解でき、楽しめるという趣向、同時にPAを駆使しながらオーケストラ・サウンドをより豊穣にしたであろう(?)演出は(ある意味地味ながら)傑出していた。

僕は、映画というものに音楽の要素が必須であることを再確認した。
逆に言うなら、最高の音楽によって物語が一層輝くのだということを思い知らされた2時間半だった。モリコーネはおそらくあらゆるジャンルの音楽を聴き、知り、過去の様々な作曲家のスタイルを踏襲しながらも自らの方法を革新的に採用し、独自の世界観を創造した天才だった。少なくとも僕の耳には、時にショスタコーヴィチが聴こえた、あるいはまた、19世紀的浪漫満ちるメロディ・メイカーたるセンスを感じさせるショパンやシューマンの厭世的印象すら覚える瞬間があった。例えばアメリカ的楽観の強いジョン・ウィリアムズに対し、彼の生み出す音楽は堅牢な欧州的諦念(?)を称えた音楽のように僕には感じられた。もちろんそれは芯から喜びに溢れるものなんだけれど。

エンニオ・モリコーネ オフィシャル・コンサート・セレブレーション
2022年11月6日(日)16:30開演
東京国際フォーラム・ホールA
PART I
・「アンタッチャブル」(1987)より正義の力/勝利の誇り
・「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)よりデボラのテーマ/ポバティ/メインタイトル
・「海の上のピアニスト」(1998)よりザ・レジェンド・オブ・1900
・「シシリアン」(1969)よりメインタイトル
・「ある夕食のテーブル」(1970)よりメインタイトル
・「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」(1968)よりハーモニカの男
・「続・夕陽のガンマン」(1966)よりメインタイトル
・「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」(1968)よりジルのテーマ
・「夕陽のギャングたち」(1971)よりTitoli (Sean Sean)
・「続・夕陽のガンマン」(1966)よりエクスタシー・オブ・ゴールド
休憩(20分)
PART II
・エンニオのテーマ HAUSER from 2Cellos
・「ヘイトフル・エイト」(2015)よりレッドロックへの最後の駅馬車
・「プロフェッショナル」(1982)より私だけを
・「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)よりメインテーマ/愛のテーマ
・「マレーナ」(2000)よりマレーナ/メインタイトル
・「アルジェの戦い」(1966)よりアルジェの戦い
・「殺人捜査」(1970)より殺人捜査
・「供述によるとペレイラは・・・」(1995)より供述によるとペレイラは・・・
・「労働者階級は天国に入る」(1971)より労働者階級は天国に入る
・「ケマダの戦い」(1969)よりケマダのテーマ
・「ミッション」(1986)よりガブリエルのオーボエ/フォールズ/オン・アース・アズ・イット・イズ・イン・ヘブン
~アンコール
・「死刑台のメロディ」(1971)からヒアズ・トゥ・ユー
・「続・夕陽のガンマン」(1966)からエクスタシー・オブ・ゴールド
レアンドロ・ピッチョーニ(ピアノ)
マッシモ・ダゴスティーノ(ドラムス)
ナンニ・チヴィテンガ(ベース)
ロッコ・ジファレッリ(ギター)
ヴィットリアーナ・デ・アミーチス(ソプラノ)
ステファノ・クッチ(合唱指揮)
Glory Chorus Tokyo(合唱)
ファビオ・ヴェンチュリ(サウンド・エンジニア)
アンドレア・モリコーネ指揮東京フィルハーモニー交響楽団

知的エンターテインメントの粋。あっという間の2時間半。まったく飽きさせないステージは最高のものだったが、何よりエンニオ・モリコーネの音楽の力は圧倒的であったことをしみじみ感じさせていただけたコンサートだった。映画を観ていなくても知悉しているメロディはたくさんあったし、PAをいれているせいか、東フィルのサウンドも実に透明感と重厚さの両方を獲得していた。中でもアミーチスのソプラノやGlory Chorus Tokyoの合唱を起用しての楽曲たちは大変素晴らしかった。個人的にはPART Iの「労働者階級は天国に入る」から「ケマダの戦い」あたりのショスタコーヴィチ的展開と、続いて「ミッション」における一転、崇高かつ高尚な音楽に思わず陶酔した。エンニオ・モリコーネの斬新さ、旋律を創造する力、そしてすべてを感化するであろう懐の深さに僕は大いに触発された。

観客は愛おしく、わたしに対して示してくれる評価は非常にありがたく思っているよ。わたしのコンサートでは目を閉じるのが良いだろう。目で見ることはほとんど意味がないから、音楽を聴くことに集中できなくなってしまう。わたしの指揮を見に来たいという人には家にいることを勧めたい・・・。わたし自身、自分がよい指揮者だとは思っていないからね!
~同上書P390

今回の演出はエンニオの意志とは矛盾するようではあるが(本人の指揮ではないので厳密には矛盾はしていないが)、確かに演奏中、僕は無意識に目を閉じていた。彼の音楽をより身近に、そして純粋に「感じる」ためにはそれが最善だとわかったように思う。

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