
夭折のリリ・ブーランジェ。生来病弱だった彼女の先天の法とは信仰であり、祈りであったのかどうか。リリの作品はどれもが実に男性的で堅牢な響きに充ちる。音楽は絶対的な確信の中にあり、堂々たる風趣を醸す。
まるで念佛を髣髴とさせる「古い仏教徒の祈り」は、東洋思想に感化された、否、そもそも24歳で命を落とすことがわかって再生してきた彼女の、前世(過去世)の記憶かどうか。
もともと順序だてて並べたわけではないが、全体で48則になったので、これを「無門関」と名付けた。もし本気で禅と取り組もうと決意した者ならば、身命を惜しむことなく、ずばりこの門に飛び込んでくることであろう。その時は三面八臂の那吒のような大力鬼王でさえ彼を遮ることはできまい。インド28代の仏祖や中国6代の禅宗祖師でさえ、その勢いにかかっては命乞いをするばかりだ。しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。
~西村恵信訳注「無門関」(岩波文庫)P18-19
そして、思念を超えた絶筆「ピエ・イエズ」の儚い、しかし確固たる歌よ(フォキュールのボーイ・ソプラノがあまりに美しい)。
ここには死への願望と生への執着が拮抗した厳しさがある。リリの意識は確かに死を恐れたのだと、そして、もはや諦めたのだということがわかる。しかし、ここにはもっと聡明な、意識を超えた形而上のリリの姿が刻印される。もはや形を失った霊性たる主人公のリリがあるばかりではないのか。
彼らに永遠の安息を与えたまえ。
大作「深き淵より」にはバッハが木魂する。このパッションは、生命力は、一体か弱い女性のどこから放出されるものなのか実に不可思議だ。絶叫に近い祈りが合唱と管弦楽によって奏される際のあまりの力感に恐れ入る。古の記憶と現代の記憶が交錯し、類稀なる技量によって一つの音楽作品が紡がれたかのような奇蹟よ(わずか17歳の頃から創作されたものだとは!)。
そして、詩篇24の豪快な音響、発奮する金管群、あるいは合唱のうねりに魂が躍る。
ちなみに、自身の生き様をまるで恨むかのような詩篇129がまた素晴らしい。音楽はどちらかというと余計な思念をデトックスするかのような力が漲り、すべてが解放されるようだ。
マルケヴィチの指揮が冴え渡る。また、乾いた録音がまたリリの魂の告発のようで実に刺激的。