デル・モナコ テバルディ プロッティ カラヤン指揮ウィーン・フィル ヴェルディ 歌劇「オテロ」(1961.5録音)

ジョン・カルショーの回想録が面白い。
例えば、カラヤンの名録音、デル・モナコを主役としたヴェルディ晩年の傑作歌劇「オテロ」。
録音の舞台裏がこれほどまでに明白に晒されるとは本人も想像していなかっただろうが、人間ゆえのドラマがそこかしこにあり、天才芸術家と言えど誰もが決して聖人ではなく、むしろ俗物であることがわかる。

テバルディとデル・モナコは、カラヤンの近くでは最大限に行儀よくしていた。たとえ感情を爆発させても、カラヤンがまるで関心を払わないことを知っていたのが、その主な理由だった。彼らはカラヤンの、歌に「同行する」並はずれた能力に敬意を払っていた。これは、きちんと制御された自在さというようなもので、単なる伴奏をはるかに超えるものだった。
ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P373

帝王カラヤンの優れた音楽性はもちろんのこと、政治力に長けていたことを如実に示すエピソードの一端だ。

そして、当初イヤーゴ役はエットレ・バスティアニーニだったそうだが、彼の怠慢に堪忍袋の緒が切れ、カラヤンに解雇された顛末も具に紹介されており、これまた興味深い。

解雇されたことをバスティアニーニに宣告するのは、私のつらい職務だった。すると彼は、がぶがぶと酒を飲んだ。こんなときの彼は、好人物とはとても言えなかった。
ときどき、気になることがある。このとき、彼は自分の癌のことを自覚していたのだろうか。それから数年のうちに、まだ絶頂期にあった彼はその病気で死んだ。この時点では私たちの誰も、彼が病気とは思いもよらなかった。

~同上書P275-276

酒に逃避する人間の弱さが露わになった一件だ。デッカのチームとカラヤンの関係は着実に進化していたそうだが、それでもカラヤンには人間性という点で問題もあったようだ。

カラヤンの最大の問題は、些細な点なのだが、音楽以外でも自分が誰よりも賢いと思っていることだった。私たちは彼との心理面での関係を正しく保つために、つねにそうとはかぎらないことを、ときどき示しておく必要があった。
~同上書P377

あくまでビジネス上の駆け引きの優劣が、是非が問われたのだろうと思う。
カルショーは言う。

カラヤンのような人物と適切な関係を続けるためには、相手を優位に立たせてはいけないのだ。セルやライナーも同じである。彼らは、相手が自分の靴を磨く気があるかどうかを一度だけ試してくる。決して二度はしない。
~同上書P379

プロデューサーの器によって商品の良し悪しが決定的になる好例だ。カラヤンは後年、EMIに「オテロ」を再録するが、あらゆる面でデッカ録音の後塵を拝しているとカルショーは断言する。

・ヴェルディ:歌劇「オテロ」
マリオ・デル・モナコ(オテロ、テノール)
レナータ・テバルディ(デズデモーナ、ソプラノ)
アナ・ラルケ・サトレ(エミーリア、メゾソプラノ)
アルド・プロッティ(イヤーゴ、バリトン)
ネッロ・ロマナート(カッシオ、テノール)
トム・クラウゼ(モンターノ、バス)
フェルナンド・コレナ(ロドヴィーゴ、バス)
リベロ・アルバーチェ(伝令、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1961.5.10-21録音)

冒頭、管弦楽の威力に卒倒する。
佛教でいうところの三毒、すなわち貪・瞋・痴こそが人間社会のすべての問題の根源であることを表す物語の運びと、それゆえにドラマと化し、人々の感情に訴えかけることのできる作品として成り立つのだから、筋の良し悪しは音楽の美しさ以上に重要であることがあらためてわかる。終幕のデズデモーナの柳の歌からアヴェ・マリアに至る流れはもちろんテバルディの歌唱の素晴らしさによって保証されるけれど、白眉は、イヤーゴの術中にはまるオテロの悲劇を綴る第3幕だろう。カルショーによって付された大砲の音などの演出も見事に決まっている。

大砲の発射音はエンドレス・テープに録音して予備のテープ・デッキにセットし、合図によって「発射」する。1961年になってもまだ、効果音を後で合成する設備はなかった。だから音楽が演奏されているその場で、効果音も追加せねばならなかったのだ。何かしくじれば、メイン・スタジオ内の200人を越す全員が演奏を止め、初めからやり直さなければならない。
私たちは発射音を、イタリア人のコレペティトーア(練習指揮者)の一人に任せた。彼がすべきことは第27小節の第3拍のわずか手前でテープをスタートし、続いて発射音がくり返さないようにテープを止めることだった。第二射も同じである。
責任を感じた彼は緊張して神経質になり、さらには興奮してしまった。最初の試みでは大砲が早すぎ、2回目と3回目は遅すぎた。そのたびにカラヤンとその「集団」を止め、やり直してもらうしかなかった。

~同上書P370-371

古き良き、鷹揚な時代だと言えばそれまでだ。それにしても10日近くの日数を要したオペラ録音の大変さと、それによって得られた成果の素晴らしさに驚嘆の念を抱く(文字通り「レコードの芸術」の粋たる音盤だ)。

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