シュヴァルツコップ ワルター指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管 マーラー 交響曲第4番(1952.6.6Live)ほか

5月の下旬、ワルターはウィーンに赴いて《大地の歌》の初めてのスタジオ録音を行った(1936年の版はライヴである)。独唱はキャスリーン・フェリアーとユリウス・パツァーク、オーケストラはウィーン・フィル。フェリアーは5月上旬にパリでワルターとこの作品を歌う予定だったが、おそらくは健康悪化のために、間際になってエルザ・カヴェルティに代わっている。このころにはフェリアーの体は癌に蝕まれていて、翌年には彼女は世を去る。彼女の〈告別〉の感動的な歌唱にある哀調は誰にでも聴き取れるものであり、ことにワルターにはそうだった。
エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P493

ブルーノ・ワルター屈指の名盤にまつわるエピソードは、マーラーの作品にある神秘、というより現実感を一層強固なものにする。この年の欧州楽旅はワルターにとって記念すべきものになったことだろう。

ヨーロッパを離れる前、ワルターは6月5日からコンセルトヘボウ管弦楽団への最後の客演を行った。曲目はモーツァルトの交響曲第40番、シュトラウスの《ドン・ファン》、エリーザベト・シュヴァルツコップを独唱とするマーラーの交響曲第4番だった。シュヴァルツコップがワルターと共演したのはおそらくこれが初めてで、ワルターは彼女の歌をしばしば称賛したけれども、こまごまとした都合が合わず、次の共演は1960年のワルターのウィーンお別れ演奏会まで待たなければならなかった—この時も、メインはマーラーの第4番だった。
~同上書P493-494

果たしてシュヴァルツコップとの初共演はどのようなものだったのだろう?
オランダ・フェスティヴァル50年のハイライトにはそのときの演奏が収録されている(会場はシュヴェニンゲンのクアハウス)。
個人的には、あまりに人間臭いシュヴァルツコップの歌唱は好みではない。まるで煉獄のような天上の世界は、ほとんど俗世間の喧騒(?)と変わりのない世界を髣髴とさせる。いや待て、考え方を変えれば、これこそ地上を天国とする、この世を真の佛国世界とする狼煙のようなものだったのだろうか。ワルターの指揮はいつにも増して慈しみに溢れているゆえに(何よりポコ・アダージョの安息よ!)。

著名なる客演指揮者とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
・ワーヘナール:序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」作品23(1905)
ジョージ・セル指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1948.7.1Live)
・マーラー交響曲第4番ト長調(1899-1901)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ブルーノ・ワルター指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1952.6.6Live)
・ヴェーベルン:管弦楽のための5つの小品作品10(1911-13)
ピエール・ブーレーズ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1961.7.6Live)
・ヴェーベルン:管弦楽のための5つの小品作品10(1911-13)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1979.6.9Live)

ヨハン・ワーヘナールの、リヒャルト・シュトラウスさながらの、後期ロマン派風序曲の官能を排した即物的解釈はジョージ・セルならでは。そして、ブーレーズとジュリーニの2種の演奏が収録されるアントン・ヴェーベルンの5つの小品の比較が実に興味深い。ヴェーベルン独自の極小世界を、ブーレーズは情を排し、機械仕掛けの冷徹な解釈をとるのに対し、ジュリーニはあくまで音楽を歌う。それに、録音状態の問題もたぶんにあろうが、ブーレーズの描き出す世界は音の強弱の幅が広く、特にピアニッシモのシーンなどは背筋が凍るほどの冷淡さ。

1952年の演奏ではないが、コンセルトヘボウ管弦楽団との恐らくリハーサルだろう、マーラーの第4番第1楽章終結の記録が残されている。ワルター71歳時のものだそうだから、1947年ということになるが、果たしていかに。

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