ネステロヴィチ指揮バルセロナ響 マイアベーア オペラからのバレエ音楽集(2012.7録音)

僕はジャコモ・マイアベーアの音楽を、真面に耳にすることもなく、ワーグナーの文献等の刷り込みから長らく敬遠していた。

ワーグナーは37年、ケーニヒスベルクからマイアベーアに手紙を書き、《リエンツィ》が完成したあかつきにはパリで上演してくれるようにと依頼する。39年-42年、ワーグナーのパリ滞在中に、マイアベーアは複数の劇場支配人に《恋はご法度》《リエンツィ》《オランダ人》の推薦状を書くが、いずれも上演に至らなかった。40年頃までワーグナーはマイアベーアの好意と支援に感謝し、その作品を批判するシューマンに「あまり酷評しないでほしい」という手紙を送るほどであったが、42年にはマイアベーアを「狡猾な詐欺師」と呼び、グランド・オペラでの自分の成功を阻止しようとたくらんでいると見るようになった。論文『音楽におけるユダヤ性』(50)や『オペラとドラマ』(52)ではマイアベーアを槍玉に上げ、辛辣な批判を行なっている。
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記1」(東海大学出版会)P140-141

自然の摂理、すなわち因果の法則が見事に働いている好例だろう。
その人の心の裏を今さらはかり知ることは不可能だが、事象を見る限りマイアベーアの真意は狡猾でもなければ、ましてや詐欺師などでもなかったのではないかと推測される。恨みや嫉みという「意」が未来に与える影響の怖さ。意識が現実を創造するのだとはその通りだと思う。起こることは是非がどうあれ誰のせいでもなく、すべては自分が蒔いた種の結果であることを強く認識せねばならない。

「コジマの日記」をひもとく。1869年11月26日金曜日の日記には次のようにある。

ベルリンから届いた新しい肖像画は、見る気もしない。メンデルスゾーンやマイアベーアにそっくりではないか!
~同上書P382

ワーグナーがメンデルスゾーンやマイアベーアをこれほど毛嫌いするに至った理由は何なのか、実に興味深い(両者ともユダヤ系の裕福な銀行家の家庭で育ったという共通点はあるが)。一方で彼は次のような夢を見ている。

リヒャルトは、昨晩あれこれと「とりとめもない夢」を見たといって話してくれた。たとえば、わたしたちはバイエルン王の馬車に同乗し、王はいかにもこれ見よがしに好意を示してくれる。それから、リヒャルトはパリでマイアベーアと腕を組んでおり、マイアベーアは彼のために名声への道を整えてくれたという。
(1872年9月26日木曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P372

要は、マイアベーアへの強い期待、要望が満たされなかったことへのいわれなき反感が、ワーグナーを恐るべき反ユダヤの思想に誘ったのだとも考えられはしまいか。マイアベーアは、愛を知らない、あるいは信のないワーグナーの感情の激しい揺れの餌食になったのだと言えよう。

ジャコモ・マイアベーアの音楽には活気がある。そして、人心を煽動する力が漲る(そのことをモーリス・ベジャールははっきり見抜いていた)。

マイアベーア:オペラからのバレエ音楽集
・歌劇「ユグノー教徒」(1836)
 第3幕:ジプシーの踊り
・歌劇「悪魔のロベール」(1831)
 第2幕:5人の踊り
 第3幕:尼僧たちのバレエ
・歌劇「北極星」(1854)からダンス音楽
 第2幕:ワルツ
 第2幕:騎士たちの歌
 第1幕:祈り
 第3幕への間奏曲
・歌劇「預言者」(1849)
 第3幕:スケートをする人々のバレエ
・歌劇「アフリカの女」(1865)
 第4幕:インドの行進
ミハル・ネステロヴィチ指揮バルセロナ交響楽団(2012.7.3-6録音)

19世紀前半のパリを席巻したマイアベーアの歌劇は、しばらく忘れられた存在ではあったが、21世紀の今あらためて聴いてみて、音楽の魅力そのものは廃れないのだと思う。僕にとってはベジャールに教えてもらったようなものであるマイアベーアのバレエ音楽たちが、何と心地良く、そして何と喜びに満ち響くのだろう。

しかし、ネステロヴィチ指揮バルセロナ響の演奏は少し冷静に過ぎるように思う。
こういう音楽は、熱狂を伴なった歓喜の拍手喝采がつきものだと思うのだが、どこか冷めた、客観的な(?)音楽に終始し、作品のサンプル資料としては適切なのだろうが、音楽を楽しみ、謳歌するという意味で物足りない。残念だが。

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