古今東西様々な音楽作品に触れることは、いわば動かずして世界旅行をしているようなものだ。
どこかの国、どこかの土地で、歴史の深淵から暗い醜い顔が浮び上り、その顔があらゆる美を嘲笑し、どこまでも精妙に美のメカニズムに逆らっているというような事態はないものだろうか。ひそかにこれを期待しながら、この前の旅行で、メキシコのマヤのピラミッドを見たときも、ハイチのヴードゥーを見たときも、私の見たものは美だけであった。
~佐藤秀明編「三島由紀夫紀行文集」(岩波文庫)P221
この世界には「美」しかないのだと思う。
バッハの最初のイタリア体験(オランダのユトレヒトに留学していたヨハン・エルンスト公子が持ち帰った楽譜を通してだけれど)の成果(1713年7月)。さぞかし衝撃的だっただろう。
外面的技巧に長ける演奏だけれど、何だか心に響かない。
(協奏曲をあえて独奏で披露するという)フランツ・リストのようなというと語弊があるかもしれない(僕がリストが苦手だけに)。堅牢な構成の中にある言葉にならない官能こそバッハの本懐。まして風光明媚なイタリアからインスパイアされた作品、あるいはヴィヴァルディからの編曲であったりすると、それはバッハの神髄が(ある種)スポイルされた、(良い意味に解すると)垢抜けた音楽に聴こえてしまいがち(あくまで個人的に)。
おそらくこれらはヴィヴァルディの方法を学ぶための習作だったのではないか。
個人的な趣味嗜好は横に置いて、虚心に耳を傾けるとカツァリスの表現したいことが見えてくる。技巧を駆使しながら、そこにあるのは中庸だった。僕は納得した。三島の言う美でも醜でもない、一切の見地を捨てた上で体験した真の美があった。