
その信仰と作品の比類ない組合せが頂点に達したのは、66歳で完成させたオラトリオ《天地創造》である。このオラトリオが作曲されたのは、ハイドンの表現を借りると、「創造主への礼拝と讃美の気持ち」を奮い立たせ、「聴く者を創造主の優しさと全能の力にこれ以上なく敏感に」させるためであった。
ハイドンは後日、こう述懐している。「《天地創造》を作曲した時ほど敬虔な気持ちにあふれていたことはない。私は日々ひざまずき、この作品に力が与えられるよう神に祈った」。友人にはこう述べている。「《天地創造》に携わっていた時、あまりにも神への確信で満たされるのを覚え、ピアノに向かう前、神をその値に相応しく賛め称えられるだけの才能をお与え下さいと、静かに、確信を抱いて神に祈った」。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P42-43
宗教心は不要だとしても、信仰心は生きる上で絶対的に必要なものだと僕は思う。
人間は自力で生きているのではなく、間違いなく偉大なる何かの働き(それを創造主と呼ぶならそうだろう)によって生かされているのだから。
ハイドンは「天地創造」の後、人間と自然を讃美する「四季」を創出した。
天地人を一糸で結ぶ音楽の王たるハイドンの、老練の傑作たちに耳を傾け、僕は歓喜する。
「天地創造」は、一にも二にも第1部序奏である「混沌の表象」の演奏が鍵。あの時代において、思い切ったハイドンの表現を、カオスをいかに有機的に音化するか。最晩年のバーンスタインの演奏は、相変わらず粘着質だけれど、合唱によって光が差し込む瞬間の神々しさはぴか一。そして、第1部の結びである第13番三重唱付合唱の力強さと光輝充ちる音楽の粋。ただし、白眉は明朗さと軽快さに溢れ、生の希望を謳歌する(表現は相変わらず粘りのあるゆっくリズムだけれど)、アダムとイヴの物語である第3部だろうか。アダムとイヴが歌う神への感謝、そして永遠の信仰を誓う合唱の美しさに拝跪する(ルチア・ポップの美声!)。