
順境、逆境、何があろうと明るく朗らかにあること。
そういう態勢でいられるのは、すべてその人の器量による。
騎士ファルスタッフは、「世の中すべては冗談さ!」と最後に歌った。それは、自身を戒め、世間を揶揄した何気ない言葉かもしれないが、そこには(ある意味)深い意味が隠されているようにも見える。仮を借りて真を知ること。世界が喜劇であることは間違いないが、時に訪れる悲劇すら喜劇に塗り替える度量が大切だ。
ミラノ・スカラ座での初演から130年。
キャリアの総決算。
ライバル(?)リヒャルト・ワーグナーの方法を自身の方法と融合させながら、彼にしか成すことができなかった無限(夢幻?)音楽の宝庫。
アリーゴ・ボーイトによる脚本は、シェイクスピアの「ヘンリー4世」と「ウィンザーの陽気な女房たち」の折衷。
人間への透徹した洞察力、修辞の絢爛、比喩の豪華、樹木に葉が生ずるような言葉とイメージの奔流、波乱に富むストーリーテリング、いずれをとっても他の追随を許さないといわれるウィリアム・シェイクスピアの傑作戯曲を軸に、ボーイトが翻案、老ヴェルディの渾身の作をカラヤンがどのように料理したのか?
インターナショナルなキャストを縦横に駆使し(?)、円熟のカラヤンの棒が光輝を放つ。
ここには帝王と呼ばれたカラヤンの独自のセンスが漲っていると僕は思う(カラヤンにとってもキャリアの総決算といえる)。白眉はやっぱりファルスタッフを歌うジュゼッペ・タッデイか。老練の、天衣無縫の無頼漢をいかにも巧みに歌い抜けるタッデイの至芸。感無量。