チョン・キョンファ デュトワ指揮フランス国立管 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲(1978.10.18Live)ほか

僕は70年代のチョン・キョンファを知らない。
初めて実演に触れたのは、1989年の来日のときだったが、そのときの演奏も当然鬼神が乗り移ったような壮絶なもので、40歳代前半にして余裕と貫禄を獲得した堂々たるものだった。そして、音楽界の最前線を走る大御所のような雰囲気さえ漂っていたことを今でもはっきりと覚えている。

その後、90年代、2000年代と来日のたびに彼女の演奏に触れてきたが、時の経過とともに彼女の解釈は円熟の境地に達し、音楽は(良い意味でも悪い意味でも)文字通り円くなっていった。

この演奏に初めて触れたとき、僕はひっくり返った。
僕がそれまで体験したチョン・キョンファとは違う、人間業とは思えぬ迫真がそこにはあった。久しぶりに耳にした今も僕の心は興奮冷めやらず、50年も前にこういう演奏がパリはシャンゼリゼ劇場で成されていた奇蹟に、そして幸運にもそのときの演奏がこうやって録音で残されていたことに僕は感謝した。

チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
ズデニェク・マーツァル指揮フランス国立放送管弦楽団(1973.5.16Live)
・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
シャルル・デュトワ指揮フランス国立管弦楽団(1978.10.18Live)

鋭い刃のような切れ味抜群のシベリウス。
第1楽章アレグロ・モデラートから、北国の凍てつく真冬の厳寒を溶かすほどの熱量と、同時にすべてを凍らせてしまうほどの峻厳さが同居した、おそらく他を冠絶する屈指の名演奏が繰り広げられている様子に言葉を失う。第2楽章アダージョ・ディ・モルトの鬱積した苦悩からに心が揺さぶられ、続く終楽章アレグロ・マ・タントでの精神的解放に、喜びというより惧れをなすくらい(音程の不安定な乱れも何のその、それがまた実に音楽的な興奮を喚起させるのだから堪らない)。

5年後のチャイコフスキーも、デュトワの棒による清廉なオーケストラの呈示部からキョンファの独奏が導かれる瞬間の、全身全霊で奏でられる魔法のようなヴァイオリンの音色に金縛りに遭う。そして、第2楽章カンツォネッタの憂愁も実に儚いながら、情熱的な音楽から終楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモに移行する「とき」の色香に心底感動するのである。

人気ブログランキング

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む