トールボリ エーマン シューリヒト指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 マーラー 「大地の歌」(1939.10.5Live)

ドイツ第三帝国のオーケストラは1934年からユダヤ人だったマーラーの作品を演奏するのを禁じられていた。それゆえシューリヒトは1939年の秋に、オランダのコンセルトヘボウ管弦楽団から5週間招待されたときに、マーラーに寛大だったオランダの地の利を逃さず、愛し続けたマーラーを採り上げる。10月5日と7日、ケルスティン・トールボリとカール=マルティン・エーマンとともに、《大地の歌》をアムステルダムで演奏した。彼の大胆不敵な行動はたちまちナチの狂信者たちに妨害される。狂信者たちは、第6楽章「告別」を演奏している最中に「世界に冠たるドイツ、シューリヒト博士よ!」と叫んだのだった。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P77

「目には目を」ともいうべき歴史的ドキュメント。
これほど生々しい、世界が大きな戦争に突入していった、その直後にアムステルダムはコンセルトヘボウで演奏された極限状態の「大地の歌」の壮絶さ。指揮はカール・シューリヒト。
こんな録音が残っていたとは!
しかも予期せぬハプニングをものともせず淡々と音楽に没入し、最後まで演奏を貫くシューリヒトの棒の確かさ。

終楽章「告別」の後半、オーケストラによる静かな間奏の最中、ひとりの女性の声が会場に響いた(その声は確かに録音にも残されている)(53分42秒あたり)。

“Deutcheland uber alles, Herr Schuricht !”(世界に冠たるドイツ帝国ですよ、シューリヒトさん!

これは、本来はヴィレム・メンゲルベルクが指揮するはずのコンサートだったらしい。
しかし、病に倒れた彼の代理でシューリヒトが急遽登場し、指揮棒を振った。
メンゲルベルクの粘着質の浪漫解釈に対し、即物的なシューリヒトの解釈は相容れないもので、突然の交代はオーケストラのメンバーに無理が生じたようで、演奏そのものにやはり疵はある。しかし、そういう事実を横においてもこの演奏には鬼気迫る「何か」が歴とある。

・マーラー:大地の歌
ケルスティン・トールボリ(メゾソプラノ)
カール=マルティン・エーマン(テノール)
カール・シューリヒト指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1939.10.5Live)

トールボリの歌う終楽章「告別」がやはり素晴らしい。
演奏が途中で止められなかったのが奇跡と言えまいか。いや、指揮者も独唱者もそれだけ音楽そのものに没頭していたということだ。音楽というものの1回性に必然を思う。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む