
シェリングは、かつて、「バッハは自分の神だ」といったそうだが、その神は新約聖書や、まして旧約聖書にあらわれてくる神というよりむしろ、純粋に古典的な均整節度をもった、濁りのない、清澄な精神の芸術を生みだした神としてのバッハということなのだろう。だが、そういう節度と秩序の精神は、とっくアカデミックで硬直した、貧血症的なバッハの演奏に導きやすい。私たちは、そういう例をたくさん知っている。しかし、シェリングの演奏のすばらしさは、古典的節度と生気にあふれる音楽性とが全然矛盾せず、おたがいに排斥しないところにある。
~「吉田秀和全集13 音楽家のこと」(白水社)P489
何と的を射た論だろう。「シェリングとヴァルヒャ」と題する評論の中で、吉田さんはシェリングのバッハをしてそう表現した。
シェリングによるバッハの協奏曲録音はいくつかあるが、その最初のもの。
胸が締め付けられるほどの感動を覚えたのは、この録音を初めて聴いたときのこと。
おそらく僕の最初のヘンリク・シェリング体験ではなかったか。
あるいは、僕の最初のバッハ体験ではなかったか。
だいぶ前、NHKの衛星放送で1960年代後半の来日時におけるシェリングの演奏を抜粋だったと思うが、見た。確かバッハの無伴奏パルティータだったように記憶する。あれも僕にとって心に残る衝撃の演奏だった。
シェリングのバッハは確かに特別だ。
協奏曲イ短調は、第1楽章アレグロ・モデラートから文字通りバッハの生気を見事に捉えた快演だ。そして、協奏曲ホ長調では、静謐で悲しげな第2楽章アダージョが絶品。
しかし、それ以上の逸品は、(コレギウム・ムジクム・ヴィンタートゥールのコンサートマスターであった)リバールとの2つのヴァイオリンのための協奏曲!!
快活な第1楽章ヴィヴァーチェに続く第2楽章ラルゴ,マ・ノン・タントの得も言われぬ安息。久しぶりに聴いたこの録音に、シェリングの生真面目さと遊びの精神が同居したバランスの良さをあらためて思った(吉田さんの「古典的節度と生気にあふれる音楽性」という表現の妙)。終楽章アレグロは堂々たる響きを持ち、締めくくりに相応しい。