ロストロポーヴィチ ウルフ指揮聖ポール室内管 タルティーニ チェロ協奏曲ほか(1992.9録音)

それにしても人は何を待ち望んでいるのだろうか。思考する海と『情報通信のためのコンタクト』をすることによって何が得られると期待しているのか。果てしない時間の中でいつまでも終わることなく、あまりに古いのでおそらく自分自身の始まりさえも覚えていない子の存在が経てきた、様々な経験や感情の一覧表だろうか? 束の間の生を享けて解放された山々の願望と情熱、希望と苦悩の記述だろうか。数学が存在に、孤独と断念が豊穣に変容することだろうか。しかし、このすべては伝達不可能な知識なのだ。もしもそれを地球のいずれかの言語に翻訳しようとしても、価値と意味のあらゆる探索は無残な失敗に終わり、向こう側に残ったままだろう。しかし、結局のところ、『信者』たちが期待しているのは、そういった科学より詩学の名も相応しい新発見の数々ではないのだ。なぜならば、彼らは自分でもそれとは知らずに、〈啓示〉を待ち望んでいるのだから。それは人間自身の意味を説明してくれるような啓示なのだ!
スタニスワフ・レム/沼野充義訳「ソラリス」(国書刊行会)P290

レムは真理を正しくつかんでいたのだと思う。
「ソラリス」は信仰、すなわち愛というものを、科学を拠りどころに説明しようとした学問だった。本来ならば、各々が自ら愛というものを体現せねばならないのだが、宗教は信者を宗教そのものに依存させたところが歴史の大問題だったということだ。〈啓示〉は外から来るものではなく、自身の内から湧き上がる智慧だということをそもそも忘れてはならない。

古の音楽こそ「ソラリス」学を超える唯一かもしれない。
安息のチェロ。時に荘厳で、時に柔和にロストロポーヴィチのチェロがうなる。

・ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲ニ短調RV406(フランチェスコ・マリピエロ版)
・タルティーニ:チェロ協奏曲ニ長調(ヒュー・ウルフ改訂ルドルフ・ヒンデミット版)
・カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:チェロ協奏曲第2番変ロ長調Wq171/H436(ヒュー・ウルフ編)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
ピーター・ハワード(チェロ通奏低音)
クリストファー・ブラウン(コントラバス通奏低音)
レイトン・ジェームズ(チェンバロ通奏低音)
ヒュー・ウルフ指揮聖ポール室内管弦楽団(1992.9録音)

ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)のチェロ協奏曲ニ長調第1楽章ラルゴの荘重な美しさ。続く第2楽章アレグロも生命力溢れる名曲であり、いかにもイタリア的陽光に照らされる明朗さと地鳴りのような(?)チェロの深い音色に支えられる、天と大地の共演の如くの音楽に感動する。それにしても悲しげな歌を持つ第3楽章グラーヴェから開放的な終楽章アレグロにかけての音楽的対比の素晴らしさ。ここには円満な調和がある。
脱力のロストロポーヴィチ。安寧のロストロポーヴィチ。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ生誕96年、スタニスワフ・レム没後17年。

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