1953年、ビルギット・ニルソンは長年の夢であった「タンホイザー」のエリーザベト役に抜擢された。そのときの歌唱は決して満足のいくものではなかったらしい。
ナチス時代、バイロイトでほとんどの舞台美術を手がけたエミール・プレトリウスが、ストックホルムの《タンホイザー》の舞台装置を任されることになった。ミュンヘンのゲオルク・ハルトマンが演出家として再度招かれ、指揮はシクステン・エーリングだった。コンニ・セーデシュトロムがエキサイティングなタンホイザー、オペラ学校の級友シーヴ・エーリクスドッテルは華麗なヴェーヌス、エーリク・スンドクヴィストは高貴なヴォルフラム、エリーザベト・セーデシュトルムが魅力的な若い羊飼いを歌った。
しかし、私だけではなく周りも期待しすぎたせいか、それとも私の肺を蝕む病が引き起こす痛みと呼吸障害のせいかはわからないが、この上演にはまたく満足できなかった。役の解釈が紋切型だったせいか、エリーザベトを歌っている私の隣にもう一人の私が立っていて、あざ笑いながら自分を観察しているような感じがした。ムーセス・ペルガメントの批評は、核心を突いていた。
・・・ビルギット・ニルソンの見事な声には大きな進歩のあとが見られた。だがその演技も心理的直感も、役の性格に説得力を与えるには至らなかった。しかもそれは時に彼女の歌いかたにも影響を与えた。
数年後に、私はある公演で妖艶なヴェーヌスと清らかなエリーザベトを両方歌った。そのときには、役の奥底にある内面性をもっとよく把握できたと思う。
~ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P134-135
ニルソンは自分に正直だった。そして、正しい振り返りと客観的な自己評価ができた人だった。陰と陽、否、聖と俗の両方を歌うことができたニルソンの音楽性は正しいバランスの中にあったのだろうと思う。
ベルリンはイエス・キリスト教会での録音。
当時の一線級のワーグナー歌手が揃った録音は、実際のところ素晴らしいものに違いはないが、しかしどういうわけか感銘は薄い。それは、ライヴだからこそ実力を発揮するニルソンの歌唱の物足りなさから来るものなのかどうなのか、あるいは、ゲルデスの指揮、音楽作りが想像以上に軽い(?)せいなのかどうなのか、僕には判断できない。
しかし、聴きどころはたくさんある。例えば、第3幕冒頭の巡礼たちの合唱を聴き、一層祈りを強めるエリーザベト(ニルソン)とヴォルフラム(フィッシャー=ディースカウ)の繊細なやり取りから巡礼たちの合唱へと続く慈愛に溢れる驚きの歌。
エリーザベト
あれは巡礼たちの歌、巡礼たちだわ!帰ってきたのね!
聖人たちよ、私の務めをお示しください、
私が立派に務めを果たせるよう!
ヴォルフラム
巡礼たちだ、これぞ、
御慈悲により救済されたことを告げる敬虔な調べ!
神よ、彼女を支えたまえ、
彼女が生き方を決められるよう!
年老いた巡礼たちの合唱
(非常に遠くからゆっくりと舞台に近づいてくる)
救済されて、ようやく呼吸を目にし、
美しい緑野に喜びの挨拶を送れる。
ようやく巡礼の杖を休ませられる、
神に忠実に巡礼の旅をしたのだから。
(次第に舞台に近づいてくる)
贖罪と懺悔により
我が心が仕える種の赦しを得ました。
我が悔悟を祝福してくださる主のために、
我が歌は響きわたる!
(ここで巡礼たちが上手より舞台前方に入ってくる。一行は次の歌の間に、山の張り出した所を通り過ぎて、谷間に沿ってゆっくりと舞台後方へと進む)
悔悛する者は恩寵により救われ、
いつの日か天国に行ける。
地獄も死も怖くない、
だから命ある限り神をほめたたえます!
(すでに舞台後方に向かっており、次第に遠ざかる)
ハレルヤ!永遠にハレルヤ!永遠に!
(エリーザベトは自分が立っている小高い場所から高鳴る心で、通り過ぎる巡礼たちのなかにタンホイザーを捜していたが、がっかりして、しかし気を取り戻して)
エリーザベト
彼は帰ってきていない!
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集1―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P209-210
あるいは、第3幕第2場のヴォルフラムによる通称「夕星の歌」の知的な清らかさ。そして、タンホイザー(ヴィントガッセン)によるいわゆる「ローマ語り」の(鬼気迫る)哀しさよ。(真の宗教の到来を待つワーグナーの神性と、それに抗う煩悩の対立とを見事に表現した「タンホイザー」の奇蹟)