事実は小説より奇なり。
まるで一流の小説のような筆致で、晩年のベラ・バルトークの亡命先米国での日々を生き生きと描く「バルトーク晩年の悲劇」が面白い。果たして一切の脚色なしの事実が述べられているのかどうか定かではないが、ともかくバルトークの性格や思考の隅々までもが垣間見られる様子に言葉がない。
心地の良い住居を探していたバルトーク夫妻がようやく見つけたアパートメントにまつわる話。
バルトークは彼女について音楽室に入った。そこはグランドピアノを窓際におき、壁の方にはハープシコードを入れてあったので前より狭く感じられた。バルトークの目はすぐに王朝風の椅子の放つ金と紅の光にとらえられた。「聴き手のためだね。なんて優雅なことだ。このこじんまりとした家には、数も丁度適っているよ。」そしてグランドピアノに向かって坐ると、鍵盤を閉じたままピアノに寄りかかって私を振り返った。「聴きたい曲があれば弾いてあげたいんだがね。」
むかしの気おくれにはげしく蹴おとされて、私は片方の椅子にくずおれると漸くにして言った。「あの、何でも。ありがとうございます。何でもよろしいんです。およろしいのを。」
しかしバルトークはなおも待っていた。身じろぎもせず黙したまま。たまりかねてディッタが長い沈黙を破った。「バルトークのものを何かおっしゃったら?」彼女は私を救い出そうとして囁いた。
「ええどうぞ。ぜひお願いします。」私はあわてて答えた。
「しかし何がいいのかちゃんと言いたまえ。」バルトークは答えを待つように、鍵盤に手をおいたまま執拗に言った。「君が選ぶんだよ。」
再び沈黙があった。私はこの決定の試練にもはや猶予はないことを悟って、まっさきに心に浮かんだ曲名を声に出した。「『アレグロ・バルバロ』をどうぞ。」
「どうして『アレグロ・バルバロ』なんだい?」彼は鋭く私を見つめた。私のリクエストがとくによくなかったことは明らかであった。
「あれがそれほどの傑作だと思っているの?」
「ええ、もちろんですわ。」
「本当に? それとも—、」彼の目は射るようだった。「私の作品をそれだけしか覚えていないのかね?」
「とんでもありません。たくさん存じておりますわ。でも、たまたまこれが好きなんです。」
「誰の演奏で聴いたの?」
「たぶん自分で弾いたんですわ。」私は仕方なく答えた。「アメリカでは先生の曲を聴く機会がそれほどないものですから。少なくとも私はないんです。でも私は本当の意味で音楽家ではありませんが。」
「音楽家でなくて、よくピアノ教師がつとまるんだね。」
「はじめは音楽家として立ったんです。今でもある意味ではそうかもしれません。ただ、そうですわね—最近の音楽界に起こっていることを知らないのです。本当の興味がそこにはないものですから。」わたしはためらい勝ちに言った。
「ああそういうわけか。それじゃ興味のあるのは何です?」
「本ですわ。」と答えてしまってから、私はひっこみがつかなくなって困り果て、赤面してしまった。
「ああ、ぶ—ん—が—く―ね。」彼はそれぞれの音を強調して言った。「じゃ、ぼくは知識階級の人間に演説をぶっているわけか。」
~アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P81-82
些細だが、いかにも緊張感溢れる情景描写に膝を打つ。
書き手が文学志向であることがこの巧みな文章を生んでいることがわかると同時に、若き日の逸品「アレグロ・バルバロ」が、作曲家にとってそれほどのものではなかったという事実に僕は困惑した。
久しぶりに「アレグロ・バルバロ」をひもといた。
自作自演なる古い録音も素晴らしいが、最右翼は全集を創り上げた(今は亡き)ゾルタン・コチシュによる演奏(新しい方)。
傑作だと僕は思う。
初めて聴いたのは、エマーソン・レイク&パーマーのファースト・アルバムに収められた”The Barbarian”だった。あの楽曲もまったく色褪せない新鮮さを保っているが、原曲がバルトークのものだと知り、早速耳にしたときの感動といったらなかった。それからしばらくおいて出逢ったコチシュの演奏に僕は心底感激した。
彼の演奏は実に正統派。バルトークの原点である民謡と、作曲当時の革新的バーバリズムの折衷は見事としか言いようがなく、幾度聴いても飽きない凄味を持つ。