
「オフィーリア発狂」
さ、もう誓いのことばは終わりにしましょうね。(歌う)
悲しいくやしいああなさけない
これではあんまりひどすぎる、
それが男と思うてみても
許す気持になれようか、
抱いてあれほど夫婦になると
誓ったことばはどうしたの?
男が言うにはおまえのような
尻軽娘じゃいやなのさ (4幕5場)
~関口篤訳編「シェイクスピア詩集」(思潮社)P122
1825年、初めて観たシェイクスピア劇に、そこでオフィーリアを演じていたスミッソンに、ベルリオーズは雷に打たれたかのように、一方的に恋に落ちたそうだ。以来、彼の情熱的な片思いは続き、ついにその思念は名作「幻想交響曲」として結実する。
あるいは、スミッソン演ずるジュリエットにも彼は心揺さぶられたことだろう。
夜明け前の、ロメオとジュリエットの別れのシーン、「愛のデュエット」
ジュリエット もういらっしゃるの?
朝はまだまだこなくてよ。
あれはナイチンゲール、ヒバリではなくてよ、
あなたのおびえていらっしゃる耳に聞こえたのは。
毎晩鳴くの、むこうのあのザクロの樹にきては。
ほんとうよ、ほんとうにナイチンゲールだったのよ。 (3幕5場)
~同上書P137
最終的に1833年には二人は婚約し、結婚するのだからベルリオーズのストーカー的執着心(?)というのは大したもの(結婚生活は長続きはしなかったけれど)。その粘着質の性質は彼の作品にも顕著だ。
フランスのオーケストラながらドイツ的風趣を醸す演奏だと表現して良いものかどうか、芯のしっかりした、重みのある幻想交響曲。第1楽章「夢―情熱」の直接的な音に聴く者の心は揺れる。第2楽章「舞踏会」の、言葉にならない愉悦、そして第3楽章「野の風景」の孤独感に満ちるコーラングレと(舞台裏の)オーボエのやり取りに(野の風景納描写を借り)人の弱さを思う(そんなことを感じさせるのはクリュイタンスだけ)。
そして、第4楽章「断頭台への行進」に見る音の炸裂は恐怖を煽り、これぞ阿片による幻覚を表現する音楽の骨頂。さらに、終楽章「魔女の夜宴の夢」冒頭に震撼し、「怒りの日」の旋律に僕は涙する。
ちなみに同じ頃、ベルリオーズはベートーヴェンの音楽にも衝撃を受けたという。
シェイクスピアに触発され、ベートーヴェンの音楽に卒倒したベルリオーズが、スミッソンへの片思いを見事に音化した「幻想」という名の交響曲は単なる標題音楽ではない。ある意味軽く(?)見られがちな音楽には絶対性が存在する。クリュイタンスの解釈はどちらかというとそれを重視したものだと思う。
劇的物語「ファウストの劫罰」からの3曲が繊細かつ音楽的で(実に描写的)また素晴らしい。