ヴェラール指揮コルマール少年合唱団 バーゼル・スコラ・カントゥルム アンサンブル・ジル・バンショワ パレストリーナ 聖土曜日の哀歌ほか(1993録音)

「すると、こんなことをするのは、ずいぶん大きな賭けというわけだ」
ガーランドはいった。「どのみち、はじめから賭けだったさ。脱走までして地球へやってきても、ここじゃわれわれは動物なみにさえ扱われない。われわれぜんぶをひとまとめにしたよりも、ミミズやワラジムシのほうがだいじがられる」いらだたしげに、ガーランドは下唇をつまんだ。「もし、フィル・レッシュがボネリ検査にパスして、ひっかかるのがわたしだけなら、きみの立場も好転するさ。その場合は、結果の予測がつくからな。フィル・レッシュにとって、わたしはできるだけ早く処理すべきただのアンディーでしかない。だが、いまはきみもあぶない立場なんだぜ、デッカード。はっきりいって、わたしとおなじぐらいあぶない。わたしがどこで計算しそこなったか知っているか? ポロコフの一件を知らなかったことだ。彼はわれわれより先に地球へきていたにちがいない。そうとしか考えられない。全然べつのグループ—われわれとは接触のないグループといっしょにだ。わたしがここへ到着したとき、彼はすでに世界警察機構へもぐりこんでいた。鑑識の報告に賭けたのはまちがいだった。クラムズも、むろん、おなじまちがいをしたわけだが」

フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(ハヤカワ文庫SF)P159-160

ディックの近未来小説は、今や現実と相当近いものに変容しているのではなかろうか。時代はついにディックに追いついてきたのだと思う。理性よりも悟性を、否、その両方を正しく錬磨することが大事だ。人間は、いまや信仰を思い出さねばならない。機械文明に洗脳された、産業革命以降の常識というものに縛られた自分を解放せねばならない。

パレストリーナは、トリエント公会議によって厳しい規則が課されたにもかかわらず、誰も予期できぬ独特な合唱音楽を書くことができたという意味で、一種の音楽における奇跡であったと言えるだろう。しかし、今でもその楽譜に接する者すべてを驚かせる存在だ。彼が生きていた頃は多くの出来事が起こり、非常に混沌とした時代だった。音楽的にも、礼拝音楽と世俗音楽のあいだに亀裂が生じていた。トリエント公会議では、さまざまな規則を設け、秩序によってこの状況を打開することが試みられた。そのなかには非常に厳格な形式的、文法的制限によってグレゴリオ聖歌を保全することも含まれていた。そうした状況下で絶対的な傑作を生みだす可能性を見出したのはパレストリーナだけだったんだ。
エンニオ・モリコーネ/アレッサンドロ・デ・ローザ著 石田聖子/岡部源蔵訳 小沼純一解説「あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る」(フィルムアート社)P345-346

パレストリーナの時代(16世紀)は、現代の混沌にも通じる状況であり、それを打破するヒントがモリコーネの言葉の中に散見される。カオスの状況にあって、また制限の中で彼はいかに革新を創造できたのか。

パレストリーナ:宗教合唱作品集
・8声のための「幸いなるかな天の女王」
・3声から8声のための「聖土曜日の哀歌」
・4声のためのモテット「誇り高い地上の支配者たちは」
・5声のためのミサ・イン・ドゥプリチブス
ドミニク・ヴェラール指揮
コルマール少年合唱団
バーゼル・スコラ・カントゥルム
アンサンブル・ジル・バンショワ(1993録音)

モリコーネ曰く、パレストリーナはトリエント公会議で禁止された不協和音を取り入れたらしい。しかもそれは、挑発でも罪でもなく、礼拝音楽の伝統をすべて踏襲することなく自由な対位法による表現を求めた結果だったのだという。天才の革新的創造性に畏れ入る。

とにかくすべてが美しい(中でも「聖土曜日の哀歌」!)。清廉で透明な聖なる歌が僕たちの魂を癒す。
薄汚れた現世の苦界にあってこれほど至純な音楽があったとは奇蹟だ。人間の声の大らかさ。

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